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蓮がアプリを退会して一週間以上が経った月曜日。
週末に梅雨明けし青い空に入道雲が浮かび、夏本番と主張しているようである。朝から気温が高く、待っていましたと言わんばかりの蝉の鳴き声が耳に付き、うだるような暑さである。
再来週から、前期の期末考査が始まる。大学の掲示板には、各科目の試験の要項が張り出されていた。
本来ならば、試験勉強を始めなければならない時期なのだが、蓮は心ここにあらずといった様子である。
自分勝手な理由で、アプリを退会しまどかの信用を裏切ってしまったことを、一週間以上経っても蓮は引き摺っていた。
「蓮。お疲れ」
午後の四限の授業終わり。友人ふたりが、教室で授業を受けていた蓮に声を掛ける。
教室内は学生らの喧騒に包まれ、多くの学生が教室の出入り口に足を向けていた。
蓮はあぁともうぅともつかぬ声を上げる。その異様な姿に、友人らは顔を見合わせる。蓮は上の空で、ただぼんやりと前を眺めていた。メモを取るために、机に広げられたノートは真っ白で何も書かれていない。
今風の服装と、髪をメッシュに染めているからか、勘違いされるが普段の蓮は至って真面目な学生だと友人らは、これまでの付き合いで知っている。
その蓮が、ノートも取らずただぼんやりと授業を聞いていたとすれば、余程のことがあったと見受けられる。
「蓮。大丈夫か?」
友人の一人が、不安げに蓮の顔を覗き込む。良く見ると、眼の下に薄っすら隈が浮き顔色も悪い気がする。
友人の杞憂を払拭するべく、蓮は「なんでもない」と笑う。しかし友人は、蓮の顔をじっと見つめたままである。蓮は思わず視線を逸らす。
「顔色が良くない。
なにかあっただろ」
友人の指摘に、ぴくりと肩を揺らす。心臓が大きく脈打つ。
まどかとの間にあったことを、どう彼らに話せばいいのか。
そもそも、話していい事柄なのか。
蓮の胸中は揺れる。
「ここじゃなんだし、場所変えるか。その方が、蓮も話しやすいだろ」
友人が重い空気を払拭するかのように、努めて明るく言う。蓮は微かに頷いた。
試験前ということもあり、これから蓮たちがいる教室は休講した分の補講を行う教室となる予定である。そのため、場所を移動した方が良いことは確かであった。
蓮と友人らは、学生控え室に足を向ける。控え室は、試験前といういうこともあり、多くの学生でごった返していたが幸い空席を見つけ三人は、それぞれ鞄を机の上に置き椅子に腰かける。
喧騒の中、三人は口を噤んだままである。
蓮はどう切り出そうか、逡巡していた。
どう話せば、今の状況をふたりに誤解なく説明できるか。どう話せば、まどかを傷つけずに、話を進められるか。二つの事柄を思案する。
「あのさ……」意を決して、口を開いたのは蓮である。
「ちょっと、相談したいことがあって」
言葉を切り、ふたりの反応を見る。ふたりは、真剣な顔をして頷き続きを促す。
「詳細は伏せるけど、自分勝手な理由である人を裏切ってしまって……。向こうは、俺のことを信頼していたと思う。多分。
こういう場合、どうしたら信用を取り戻して許してもらえるのかなって」
蓮の発言に、ふたりが顔を見合わせる。
「蓮としては、そのわざとじゃないんだろ」
友人の言葉に大きく頷く。
「わざとじゃない。絶対違う!」
蓮が頭を振り語気を強める。
「そんなこと、向こうには関係ないって分かっているけど。
悪いことをしたと思っている。あんなことするんじゃなかったって、後悔もしている。
自分でも、どういたらいいか分からなくって。衝動的に気付いたら……」
言葉が尻すぼみになると同時に、蓮の視線が下に落ちる。
「その人を裏切っていた?」視線を落としたまま頷く。
友人が口を開く。
「俺はさ、蓮が何をしたか知らない。
だけど、悪いことをしたとか後悔してるとか、蓮が今俺たちに話したことをその人に話すしかないんじゃないのか。
その人が、納得して許してくれるまで何度も。もう一度、蓮のことを信じていいって言ってくれるまで」
蓮がゆっくりと、顔を上げる。そして、眼を瞬かせる。
友人ふたりは、お互いに視線を合わせ頷いている。
「蓮にどのような事情があったにせよ、悪かったとおもっているなら謝るべきだと俺も思う。
蓮はその人のこと、 “気に入ってる”んだろ?」
蓮のことは全てお見通しだ、と言わんばかりに口角を上げる。
その表情に釣られ、蓮も薄っすら笑みを浮かべる。
友人にはまどかの名を出さずとも、誰のことを話しているか、お見通しらしい。
やっぱり、敵わないな―。
先程より、幾らか顔色が良くなった気がして、ふたりは胸を撫で下ろす。
そうと決まったら―。
蓮は鞄を持ち立ち上がる。
まどかの連絡先を知らない蓮が、彼女と話が出来るとしたら直接アパートに行くしか方法はない。
善は急げだ―。
「ありがとう。
お陰で決心がついた。その人にこれから会ってくる」
蓮は憑き物が落ちたような表情で、控え室を後にした。
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