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 陽春(きよはる)椋介(りょうすけ)に気づいて、軽く手を振る。 「連絡できなくてごめん……あの子1人でエレベーターに乗って、降りる階を間違えたみたい」 「ああ、そうだったのか……無事でよかったな」  おかげで僕も迷子になったけれど。椋介はひとつ息をついた。フロントの男性と仲居に笑顔で見送られ、2人であらためて大浴場に向かう。 「ほんとにごめん、ほっとけなくて」  陽春のこういう、何げに誰にでも親切なところが好きだ。椋介はタオルと着替えを抱え直し、そっと右手を伸ばして陽春の左手に触れる。彼の存在を、確認したかった。姿を見失って強い不安に駆られるほど、彼が手の届く距離にいることに慣らされてしまっている。そんな自分が怖い。 「どこに消えたんだってちょっと焦った」  ぽつりとこぼした椋介を見上げて陽春は笑顔になり、恋人の珍しい反応が嬉しかったのか、ぎゅっと手を握り返してきた。 「椋さん、俺のこと必死で探してくれたっぽい?」  うん、まあ。小さく答えて、椋介は気恥ずかしくなった。自分の狼狽ぶりを見られなくてよかったと思う。普段陽春は自分を何かと頼りにしてくれているが、これでは年上の威厳も何もあったものじゃない。  大浴場が閉まるまでまだ1時間あったが、そこには誰もいなかった。貸し切りだと喜ぶ陽春が、約束通り、背中を優しく丁寧に流してくれた。すると、椋介に覆い被さっていた薄暗い雲が、静かに晴れていくようだった。  全身をさっぱりさせて、露天風呂に向かった。空気はきんと冷たかったが、その分湯の熱さが心地良い。空を見上げると、上弦の月が浮かび、都会では見ることができない数の星が瞬いていた。 「綺麗だね」  そう呟く恋人の横顔こそ、美しいと思う。椋介は頷いた。 「うん、……一緒に来て良かった」  陽春が近づき、水面が軽く揺れた。恋人への遠慮や、周囲の視線への戸惑いも、湯煙と共に天に昇り、浄化されていくようだった。誰が何と言おうと、陽春が一番近い場所にいる大切な人なのだ。だから迷ったりしない。椋介は心からそう思えた。
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