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22:00
酒が醒めるのを待ち、1階に向かった。夕飯には満足したが、食事中に他の客の視線が気になった。やはりそういう関係に見えるのかともやっとしたが、考え過ぎかもしれないと思い直す。椋介はその逡巡を口にしないでおいた。
エレベーターを降りて向かった大浴場の暖簾の前で、陽春の足が止まる。
「パンツ忘れた」
「それはまずいな」
椋介は笑いながら陽春に鍵を渡し、そのすっと伸びた背中を見送った。暖簾をくぐり、脱衣所の籐の椅子で湯の匂いを楽しんでいたが、陽春はなかなか来ない。
浴場に先に入るきっかけを失ってしまったまま、何人かの宿泊客の出入りを見ているうち、椋介は何となく不安になってきた。この旅館は広く、部屋から大浴場への順路がやや複雑だった。彼らしくなく迷ったのだろうか? 椋介はスリッパを履き、引き戸を開ける。暖簾の外には誰もおらず、静寂に胸がひやりとした。
早足で廊下を進み、エレベーターに乗って部屋に戻ったが、扉の鍵はかかっていた。自分でも呆れるほど、椋介は動揺した。どこに行った? 宿に着いてからずっと笑顔でいた陽春の存在が、夢か幻だったような気さえしてくる。
椋介は再び1階に降り、枝分かれした廊下のあちこちに足を進めては戻ることを繰り返した。廊下の向こうから、仲居がこちらに歩いてくるのが見え、思わず椋介は、彼女に駆け寄ってしまう。
「すみません、私……」
友達と、と言いかけて思い直す。
「連れ合いと、はぐれてしまって……」
小柄な仲居は、椋介を見上げて目を見開いた。一瞬椋介は勝手に気まずさを覚えた。
「あの綺麗なかたかしら? お子様を連れてフロントにいらっしゃいましたよ」
「子ども?」
「はい、上で迷子になってたとおっしゃって」
椋介こそすっかり、旅館の中で迷ってしまっていた。仲居が先導してくれたが、フロントまではやけに遠く、やがて幼稚園くらいの男の子を連れた若い男女が、陽春に頭を下げているのが見えた。
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