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「春くん!ねえ、春くんってば!」
「なに?うるさいんだけど」
「なんでそんなに怒ってるの?」
白川夏希はいつもこうだ。俺の神経を逆撫ですることばかりする。俺の考えが、こいつには伝わるらしく、俺の嫌がることを一番に察知する。過去に、
"春くんの嫌がることをするのが一番楽しいんだよね"
なんて言われたことがあるぐらいだ。まあ、単純にこいつは俺のことが嫌いなんだろう。別に俺も好きではないから、そこはどうでもいい。しかし、そんなに嫌われてもなお、俺の考えがいつもこいつに筒抜けなことには、何一つ納得がいかない。幼なじみの雪には何一つ伝わらないのに、浅い関係のこいつがここまで察しがいいと、察しの悪い雪にイライラしてしまう。それくらいこいつの存在は疎ましくて厄介だ。
「雪ちゃんの家を教えたことに怒ってるの?」
察しのいい夏希は、ニヤリと企んだような顔をしながら、俺の顔をのぞき込む。その異様に近い距離感すら、俺に対する嫌がらせなのだろう。無性に腹が立つ。
「近い」
「女の子みたいな可愛い顔がぷんぷん怒ってても、ちっとも怖くないねえ」
「うるさい」
「あはっ、効いてる効いてる」
夏希は煽るように笑い声を上げる。放課後の教室。夏希が帰ってくるのを待っていたせいで、もう陽は沈みかけていた。
「雪ちゃんが心配って言うから、志木先生に頼んだんじゃん。雪ちゃん、先生にはよく笑顔で話してるし、春くんよりも多分適任かなって」
「何適任って」
「はっ、事実じゃん。何怒ってんの?」
先を歩く俺の後ろをちょこちょこと着いてくる夏希。吹き出すように笑い、たまに上機嫌な鼻歌を聞かせてくる。傍から見れば、彼氏彼女のような距離感に見えるだろうが、俺は今、こいつのせいでどうにかなりそうなぐらいだ。
「図星でしょ、春くん」
「俺は、雪と仲良く話している教師が誰なのか知りたかっただけなのに、なんで家まで教えんだよ」
「それはまあ、私自身も雪ちゃんの体調を心配してるからかな」
夏希が雪の心配?あまりにもありえない状況に、無意識に鼻で笑ってしまう。
「わかりやすい嘘つくなよ。嫌いなくせに」
こいつの本心は何となく察しがついている。こういう要領いいタイプが、あの雪を好きなわけが無い。理由は分からないが、夏希の表情や話し方を見ているだけで、何故か分かってしまう。雪と夏希は相容れない。
「いやー、嘘じゃないよ、本心。だって今死なれたら、私と春くんの繋がりもなくなっちゃうでしょ?そんなのダメダメ、死ぬんだったら私と春くんが幸せなハッピーエンドを迎えたときにしてって思って」
「気持ち悪」
「春くんと私の結婚ルートには、雪ちゃんは不可欠ってことだよん」
雪とではなく夏希と一緒に?他の女にうつつを抜かす自分を想像しようとしたが、全くできなかった。雪が生きているうちに、他の女に行く選択なんて、俺がするわけがない。絶対にあり得ないと断言できる。
俺は校舎を出て、思い切り鼻から空気を吸い込んだ。自然豊かな町のど真ん中にある、割と大きな高校。そして子供たちを囲うように、この周りには商業施設が建てられていて、この時間になると、いろんな匂いが混じり、吐き気を催すほど、町の空気は強烈に臭くなる。
雪に会いたい。
そしていつも、俺はこういう時に思い出す。人形のような温かみのない顔。春と初めて名前を呼んだ彼女の眩しい笑顔。雪の声も表情も、俺に向けたものすべてが、空っぽの俺を満たしてくれる。
"雪ちゃんがいてくれたらそれだけで僕は十分だよ"
"うん、春とずっと一緒にいる"
今俺は、とてつもないほどに空腹だ。
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