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現実を知る
〇
彼女は人を殺すような人ではないと思う。
あの日の晩、ずっと一緒にいたからそう思うわけではないし、彼女のことを自分が一番知っていると主張したいわけでもない。単純に、どれだけ精神が不安定でも、他人に手を出す人間はそういないと思っている。人は簡単に他人に危害を加えられない。彼女の手首の傷の深さを考えれば、彼女はまだその境界を越えていないと、考えているだけだ。
「志木先生的には、弘中雪は犯人ではないと?」
「そうですね」
白色の壁で囲まれた、校内の端にある取調室のような談話室。ここは心が弱った子供と、そんな子供に助言を行う大人が使う場所だった。しかし、最近では警察の事情聴取の真似事を行う部屋に成り果てている。タバコ臭い大人が二人も入ることなんて想定されていないのだろう。部屋に充満する大人臭さが、そう物語っている。
「彼女の狂気は他に向けられないと?」
「はい。彼女が人に手をかけるとは思えないんです」
「そう断言できる、それなりの根拠があるということですね。感情論ではなく」
目の前にいる学年主任の浜崎先生は、青くなった顎を手で擦ると、訝しげに私の顔を覗き込む。
「弘中雪の家庭環境はご存知ですよね?」
「はい、まあ何となく」
この人、もしかしたら知らないのか?そんな様子で町内で一番有名な話を始める浜崎先生。対面で座った私とは比べ物にならないくらい体格がしっかりとしていて、狭い部屋と相まって、その迫力に圧倒されそうだ。
「彼女の母親は、あの連続誘拐事件の犯人ということを知ってもなお、彼女は何もしていないと断言できるんですよね」
「はい、彼女ではないと思います」
「それはどうしてですか?」
彼女は前科者でもなければ、素行不良者でもない。そんな当たり前のことを今、口にしても、優しくて頼りになると評判の良い浜崎先生にすら理解できないと思う私は息を飲む。
簡単に済む話が、変にこじれてしまっている。この町に来て、嫌というほど味わったこの町の悪しき風習がそうさせている。
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