夢を見る

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今更ながら、酷く後悔している。 人の悩みを聞き、解決に導く。どうしても自分でも出来るかもしれないと思ったのだろうか。 「今日のカウンセリングは何をしますか?」   彼女は手すりに手をかけ、天を仰ぎながら問いかけてくる。私はすぐには答えずに、そんな彼女をじっと見た。  真冬の雲は分厚く、すぐに日の光を隠す。まだ昼なのに辺りは全体的に薄暗くて、地面は少し濡れていて靴越しでもわかるぐらい冷たい。この町の冬はグレーに近い無色だ。吐く息の白さ以外、色を無くしてしまったのかと思うほどに景色が、この場所が重たくて殺風景だ。 しかしそんな彼女を見ていると、まるで絵画を見ているような気分になるのだ。どんな背景でも取り込み、価値を生む。子供が持つ光みたいなもの。それをあの子からも感じてしまう。 これが1番の悩みだった。いくら接しても、彼女も他の子と変わらずに、普通の生徒にしか見えない。手厚い支援が必要だと思える要素が何一つ見つからない。 「そうですね…」 だからもう次にすべきことは、分かっている。自分の感覚を信じるなら、私は彼女を拒むべきで、彼女の寂しさを埋めてあげるなら、同世代の人間を宛がってあげるべきだ。それに素直な性格をしている彼女も、割と早く適応できるだろう。背中を押してあげることが、教師の役目でもある。 しかしそう考える度に、一つ問題が立ちはだかる。それは彼女を慕う大人が、この町には部外者の自分を覗いて誰一人いないことだ。そしてその現状を簡単に打開できるわけでもない。彼女を突き放せば、1人になってしまうかもしれない。この街では、子供の意思は尊重されない。だからそんな大人を見て、子供たちが自分の意思だけで動き出せるだろうという確証もない。だってこの町に来て数ヶ月、たまに見る類まれな正義感を持ち合わせてる子を、今のところ1度も見たことがないから。 「何がしたいんですか?」 「うーん、そうだなあ。じゃあ今日は家でお菓子作りでもしませんか!先生の好きなプリンが食べたいです」   期待に満ちた顔だ。出会ったばかりは、こんなに生気を感じる子ではなかった。真っ黒な球体をギョロリとこちらに向け、ペラッペラの紙のように項垂れ、会釈するだけ。こちらの問いかけに、はいかいいえで答えるしか気力がない、そんな様子だった。しかしそれがある日を境に、私を見るなり、飼い犬のように駆け寄ってくるようになった。何がきっかけだったのか分からない。しかし見かけだけても、明るく元気になったのであれば、良いことだろう。 "気を許すべきでは無い。彼女はきっと何かを企んでいる" しかしこの町に住む大人は、理解し難いことばかりを宣うのだ。あの日から、このカウンセリングという任務のゴールを見失ってしまった私は、自分がやっていることの正しさがわからなくなった。   「カウンセリングはもう終わりにしませんか?」   できるだけ早い方がいいと、ずっと考えていたことだ。こんなよく分からないことを続け、ただ子供の貴重な時間を奪い続けるだけなら、すぐにでも辞めた方がいいと、思っていた。一度なかったことにして、何か起きた時に、きちんと対処できれば、前進できると、自分の経験則から考えていたことだ。 空を見る彼女は、私の言葉に反応し、ゆっくりとこちらを向く。 「えーと、じゃあこれからは普通に仲良くお話しできるってことですか?」 そう解釈するのか。 彼女の邪心のない澄んだ目を見ていると、どことなく後ろめたい気持ちが湧いてくる。 カウンセリングを辞めてもなお、この関係が続くと思ってしまうところを見るに、やっぱりただ寂しいだけなんだろう。普遍的な感情だ。私を理解者だと思い、縋り付く。だが、年頃の女の子が、異性の大人を必要とするこの状況は、やはり間違っている。 「何が普通で何が特別なのか私には言い切れませんが、二人きりで会うのを辞めたいということです」 「…嫌だと言ったらどうなりますか」 彼女は口を尖らせ目線を逸らして黙り込んだかと思えば、小さな声でそう呟いた。 「どうもなりません、すみません」 それが誠意だと思ったから、彼女に対して頭を下げた。コンクリートの床が視界に広がる。彼女の顔が見えなくなる。 「顔を上げてください先生」 多分あの時の私は、大人が子供に対して頭を下げたのだから許してくれるだろうと簡単に考えていた。自分だったら、しょうがないと諦めるしな、なんて軽く考えていた。本当に傲慢だった。 顔を上げた先の彼女の顔見て、無意識に息を呑んだ。彼女は光を失い、憐れむような目でこちらを見ていた。 「先生、辛いですか?私と話すのは」   子供の泣き声ようだった。掠れた彼女の言葉が、呑み込めなくて、喉に詰まった。 私が辛い?どうしてそんな思考になるんだ。頭が混乱して、心臓がバクバクと音を立てる。どうして彼女は自分を責めるのか。伝え方を間違えたのか私は。 "劣悪な環境で育った子は、何か不都合なことが起きた時、自分が原因だと考える傾向にあります" ふとその時、大学時代に取っていた心理学の授業で、教授が言っていたことが頭をよぎった。 「全然辛くなかったです。なんなら楽しくもありました」 自分が学んできたことが、ここで活かされてしまうのは少し複雑だったが、教授が言っていたことが正しいのであれば、彼女かける言葉は、きっとこれだ。 「お互いの未来のためです。今日で終わりにしましょう」 「ふーん」   含みを感じる相槌だ。きっとまだ疑っていて、自分に原因があると、探っているのだろう 「貴方は元気で、立派な高校生です。これから先は一人でもやっていけます」 「うそつき」 「大丈夫ですよ私が保証します。貴方の周りには必ず人で溢れかえるでしょう」   ただの女子高生だ。貴方の周りにいるべきは、私のような大人ではなく、同世代の子達だ。その素直さがあれば、すぐにでも友達ができるはずだ。訳のわからないことばかり言う大人を放って、君はただの子供であるべきだと伝えたかった。 「疎外感に耐えられなかったって言えばいいのに」   天使の譫言のようにポツリと呟いた。その彼女の言葉は、風と共に私の耳腔を掠めた。そして自分自身が納得するようにと、取り繕った言葉たちで固めた私の心にすんなりと侵入し、耳を熱くさせた。 私は黙って屋上を後にする彼女の後ろ姿を呆然と見つめた。 その日を最後に私たちは、いつも決まった時間に2人で会うことは無くなった。  
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