9人が本棚に入れています
本棚に追加
しかし、いくら待っても反応はなかった。もう一度、今度は強めに戸を叩いた。やはり反応はない。
留守だろうか?夕方だし、もしかしたら買い物に出かけているのかもしれない。それに、年頃の女の子だ。友達の家に遊びに行っているのかもしれない。
私は頭の中で、そうであってほしいという可能性をいくつも考えた。
そうだ。彼女は確かに身体は細かったが、それなりに生命力を感じさせる人でもあった。それでいて、どこか凛々しさを感じさせる姿をしていた。そんな彼女が、簡単に命を手放すのだろうか。
これでも教師だ。究極に追い詰められ、突飛なことをしでかす人間のパターンは知っているつもりだ。彼女はどのタイプにも該当しない。彼女はもっと先を見据えるタイプの人だった。将来のこととか、老後のことかよく未来の話をしていた。ただ仲良くしていた教員に手を離されただけで、絶望するような人ではないはずだ。
しかし、事実はいつも残酷だ。私は留守だと見込んで帰ろうとしたとき、ほんの少し強めの風が真実を教えるように私の体を吹き抜けた。雨の生臭さを含んだ風だったため、私は思わず目を閉じた。それが合図だったのに。
視覚を奪われた私の耳は、僅かに鳴るギギィという情けない音を捉えてしまった。
弘中雪の家の戸は、少しの隙間を開けた。今思えば、ガチガチに固めた心にあの風はねじ込むように入ってきた。まるで神のいたずらのようだった。
私は子供のように、僅かに残った好奇心に似た感情に支配され、その隙間から家の中を覗いた。それが最後の砦だったのに、その時には良心の呵責は作動しなかった。人の家を覗くなんてことはするべきではないと、少しも考えていなかった。
「ちょっと雪さん!」
「先生…」
それだけだ。あの時、唯一間違えてはいけない選択を間違えた。それだけなのに、私の日常は見事にひっくり返った。
最初のコメントを投稿しよう!