夢委員会

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 暑苦しい気温の中で降り注ぐ蝉時雨。けたたましく鳴り響くスマホのアラーム。そよ風とともに夏を感じさせる風鈴の音。とある時期を彩る大合唱に耳を傾けながら意識を徐々に覚醒させていく。また、山田哲志のいつもと変わらない日常が、妙な一日が始まろうとしている。   ◇  高校の夏休みも折り返し地点にさしかかってきた頃、今日もやることがなく家で暇を持て余していると、家のインターホンが鳴り響いた。 「てっちゃーん! あそびに行くよー!」  どうしてこうも、毎回不規則にやってくるのだろうか。そう思いながらも、玄関に向かった。 「何の用だよ、香奈」 「だから、遊びに行くんだよてっちゃん。ほら、カメラもって、外に出るよ!」 「……わかったから、少し待ってろ」  家にやってきたのは幼なじみの水野香奈。同じ高校で家もそれほど離れてはいないため、こうやってかなりの頻度で家に来ては引っ張り出してどこかへ連れてかれるのだ。  家でゴロゴロして過ごそうと思っていたばかりにあまり気乗りしないが、来られた以上適当にあしらって帰らせるのも悪いと最低限の身なりを整えて一眼レフを持って外に出た。 「にしてもそのカメラ、いつ見てもかっこいいよね。それに見た目も普通のより大きくてごついし。すごく高そう」 「そりゃ一眼レフだからな。そこら辺に売ってるカメラとは訳が違うさ。もちろん値段は高いけど、その分機能や画質もいいんだ」  カメラは好きだ。というより、カメラで写真を撮る行為が好きといった方が正しい。思い出をそのままの形で残せるのはその当時の感覚を思い出せるからだ。このカメラだけは傷つけたくない。正直触れさせたくもない。 「それで、今日はどこへ行くんだ?」 「そうだねぇ。ここから近くの場所は大体一度は行ってるから、今日は少し遠出しようか。電車乗れば海に出られるし、今日はそこへ行って遊ぼう!」  そう言うとすぐに早歩きでタッタッと駅に向かう香奈の後ろをトボトボとついて行く。  駅に着くと慣れない手つきで切符を買い、二両編成の見慣れた電車に乗った。電車に乗ることもなかなか無いためか、住み慣れた土地から少し離れたところへ行くというのは若干の特別感を覚えるものだ。少し浮ついた気持ちを抑えつつ、電車の揺れの心地よさと風のように流れてゆく景色を眺めていると、ついに目的地へと到着するアナウンスが流れ始めた。   ◇ 「着いたー! 海の周辺に来るのは初めてだから新鮮だね!」 「そうだな」  初めて海に来たためか、鼻から吸い込んだ空気もいつもより爽快感が増している気がして――初めて?――電車とともに乗ってきたそれを抑えるのも難しかった。 「ここからも海が見えるんだね。少ししか見えないけど」 「とりあえず海に行くか?」 「んー、待って。せっかく未開の地に来たんだからまずは周りを探索してみよ! その後のフィナーレとして海に行こう! 好きな食べ物は最後にとっておくものでしょ?」 「俺は最初に食べるけどな」 「えー! それはもったいない! 最初にお楽しみ無くしたらその後地獄じゃん!」  そんなくだらない話を香奈としながらまずは海から離れて近くの展望台に行くことにした。空は青く、真っ白な雲の中に、ただひとつ灰色の雲が見え隠れしていた。   ◇ 「おぉー! きれー! 見ててっちゃん、海が一望できるよ! 海ってこんなに広いんだね! 水平線がきれいだ!」 「ほんとだ。その向こうに大陸があるとは思えないな」  少しさびた階段をカツカツと上るとそこにはキラキラと輝いた深い青色の海が視界に広がっていた。駅で見たときとは全くの別物を見ているかのように水面を光らせてはこちらの目を釘付けにしてくる。 「ねね、写真撮ってよ! こんなきれいな景色、なかなか撮れないよ!」 「そうだな、じゃあそこのフェンスのところに立って」 「了解!」  そう言うと香奈は広大な海を背にフェンスの前に立った。なぜかその姿がいつもと違って遠くの存在のように見える。きっと香奈と海がいい具合に混ざり合っているのだろう。写真に収めたいと強く思う。 「じゃあ撮るよ」  パシャという音とともに一枚の思い出を切り取った。海風が香奈の長い髪をユラユラと揺らしている。  現実とは裏腹に――懐かしい――こんなことを思ったのだ。先ほどと似たような感覚。なんだか少し違和感を覚えた。けどその感覚に値するだけの何かを持ち合わせてはいなかったから、なんとなく気にしないでいた。突然、聞き慣れた声が聞こえてきた。 「てっちゃん? どうしたの? 急にボーッとして。もしかして体調悪い? 無理に付き合わせちゃってたかな……」  香奈の表情が少し曇っていた。どことなく申し訳なさそうな、そんな顔。 「いや、そんなことないよ。少し考え事をしていただけだから」 「そう? ならよかった。さ、次なる大地へいこう!」  さっきの表情が幻覚なんじゃないかと思わせるくらいの満開の笑顔を見せて香奈は先ほどの階段を下っていった。その後ろを追った。   ◇  展望台から降りたあと、適当に歩き回ってみようかと周りをフラフラとした。意外と人は多かった。もともとここら辺では人気の海だったので、夏休みということもあってか、展望台から見おろした砂浜で遊んでいた人も多かった。香奈も物珍しそうにいろんな店を見ていた。 「ここってそんなに人気な場所だったんだね。家の周りと少し行ったところでしか遊んでなかったから全然知らなかったな」 「店や土産店もかなり充実してるし、前々から有名だったのかもな」  商店街にはかなりの人だかりができていていた。どこの店も大体は人がある程度はいて、それぞれ何かを手に取っては戻すを繰り返していた。 「俺たちも何かお土産買ってくか?」 「そうだねぇ、おそろいのキーホルダーでも買ってつけよ!」  そうして二人でおそろいのイルカのキーホルダーを買って持っていたバックにつけた。なんとなく気持ちがポワポワした。 「おそろいだー! ここに二人だけで来た証!」 「写真も帰ったら送ってやるよ」 「ほんと!? ありがと!」 げんきだなぁ、と。にしても、二人だけで来た、なんて。どことなくくすぐったい気がした。少し顔を下に向ける。 「あ、そうだ。ここの近くにひまわり畑があるみたいだよ。そこに行ってみよ!」 「……そうだね。行こうか」  少しバツが悪そうに答えた。少し顔が熱かった。   ◇ 「……わーお」 「これは……すごいな。本当に」  ひまわり畑に着いてまだ一分も経っていないのは確かだ。だけど、それでも言葉を見失うのに十分すぎるくらいだった。  目の前の光景があまりにも美しかった。どこまでも続くひまわり。そのひとつひとつが一心不乱に咲いていて、みんな同じ方向を向いている。 「すごいね。なんだか、それしか出てこないや」 「うん」  二人とも広大なものを目の当たりにしてただ立ち尽くしていた。これを飲み込んだら寛大になれるような気さえした。 「あ、あっちに写真映えスポットがあるみたい。行こ!」 「ほんとだね、あっちで写真を撮ろっか」  香奈がひまわり畑のど真ん中にあるベンチに腰掛ける。華奢な体に太陽に照らされて輝く長くサラサラな髪の毛。背景は明るい太陽たち。思わず見とれてしまっていたのか、マジマジと見つめていた。 「てっちゃん? どうしたの? 今日はボーッとすることが多いね。何かあった?」 「あ、何もない。家ではいつもこんな感じだよ。ほら、写真撮るぞ」  ……なんか、今日の俺、どうしちまったんだろ。無意識に香奈を見ちゃうし、香奈もいつもと違って、その、かわいいというか……。 「ねぇ、ホントに今日どうしたの? 上の空っていうか、ちょっとボーッとしすぎっていうか」  いつの間にかベンチから立ってこちらに来ていた香奈。そのとき、急な違和感に襲われた。  またさっきのような感覚。懐かしいというか、知らないはずなのに――知らない?――デジャブを感じさせる。まるでここを訪れたことのあるような、そんな感覚。 「……ごめん、集中するよ」 「集中って」  クスクスと笑う香奈に若干の恥ずかしさを感じた。でも先ほどの感覚を忘れたわけじゃない。まだ少し引っかかるような気はする。 「じゃあ写真撮るよ。ベンチに座って」 「オッケー」  さっきと同じ場面、だけど気持ちは真新しいまま。  ふと、目に入った一つのひまわりだけ、違う方向を見ていた。   ◇ 「さ、そろそろ海に行こうか!」  ひまわり畑を出た俺たちは、最後のフィナーレを迎えようとしていた。お昼も過ぎだろうか。相変わらず太陽は変わらず同じ位置に浮かんでいる。サンサンと世界を照らしては常に一定の気温をたたきつけてくる。まぁ、当然季節によって気温は違うのだが。  そんなことを考えているとすぐに砂浜に出た。 「やっぱ遠くから見るのとは全く違う」  本当にその通りだと思う。やはりどこかの場所で遠くから眺めているのとは訳が違うのがよくわかる。視界いっぱいに広がる海は自分の存在がまるでちっぽけで、得体の知れない何かに海の底から見られているような、名状しがたき恐怖さえあった。 「よし、香奈。写真撮るから海の近くまでいって立ってて。その後に水浴びでもしようか」 「お、なかなか良いこと言うじゃないか! そういうことなら」  そうして香奈の背が離れていくところを見ていると、突然、ドンッ、と誰かに肩を強くぶつかった。その衝撃で相手の爪がカメラのボディを傷つけた。 「あ、すまない。大丈夫かい? 急いでたもので」  カメラを傷つけられた。大切なものだから丁寧に扱っていた。だから傷一つついてはいなかったはずだ。それが、今終わった。 「いえ、大丈夫です。そちらこそ大丈夫でしたか?」  しかし、その傷に対してそれ以上の感情はなかった。それよりも相手に何かなかったかの方が心配だった。 「私も大丈夫だ。すまなかったね」  そこで相手の人とは分かれた。とにかく、双方に何もなくて良かった。 「足、よろけちゃって、結構な勢いでぶつかってたけど、大丈夫だった? ぶつかる直前だったからどんな風にまではわからなかったけど」 「うん、大丈夫。カメラは少し傷がついたけど何の問題もないから」 「なら良かった」  そうしてまた香奈は海の方へと走っていく。さっきと同じ光景。その一部を今から切り取るのだ。 「じゃあ撮るよ!」 「オッケー!」  こうしてまた、思い出が一つ、形として残っていくのであった。  この後も、俺たちは時間も頃合いになるまで遊んでいた。  相変わらず浮かんでいる物体は全く同じ方向から俺たちを照らしていた。   ◇  最後のフィナーレを終えた俺たちは、帰るべく電車に乗っていた。 「いやー海なんて初めてだったからとっても楽しかったよ! 近くの山も良いけどまた今度も行きたいね!」 「……そうだね」  しかし、なんとも言い難い違和感があった。 「てっちゃん? どうしたの?」 「なぁ、俺たちってさ、前にもあそこの海に行ったことなかったか?」  そう、今日一日を通して点在していた違和感。懐かしさ。初めて行ったはずの海なのに、何度もどこか変にデジャブを覚えたあの感覚が忘れられないのだ。 「え、そうだっけ。もしかして今日一日浮かない顔していたときって、それについて考えていたの?」 「うん」  実際のところは、少し違う気もするけど、大方合っている。 「うーん、でも私たちって家から歩きで行けるところまでしか行ってないよね?」 「……そうだね。確かに」 「なら行ったことはないんじゃないかな。実際、海に行って見たもの触れたもの、全部初めてだったじゃん。あんな広大なもの、忘れるわけないよ」  確かにそうだ。こんな印象的な風景を忘れるわけがない。 「それに、海に行ったことがあるならそのカメラの中に写真が入ってるんじゃないかな? 確認してみなよ」  そうしてカメラの中に収まっている写真を確認する。近くの山の中で川遊びしている香奈の写真。釣りをしている香奈の写真。家の中でトランプやゲームをして楽しんでいる香奈の写真。……そして、今日の写真。なんか、香奈ばっかり撮ってるな、なんて思いながら確認しても、それらしきものは見つからなかった。 「ないね」 「なら行ったことはないんじゃないかな。そのカメラに写真がないことが証明してるよ」  やっぱりないとは思っても、どこかきれいに拭いきれない。何度も突然襲ったあの感覚が、偶然だとは思えなかった。  電車のアナウンスが、降りるべき目的地を言っていた。行きのときより、ノイズがかかっていた。   ◇ 「我らが故郷の地、舞い戻る!」 「帰ってきただけなのに、大げさだな」  両腕を広げてそう言う香奈に、クスッと笑った。 「それじゃあまた明日! 今度はどこ行くか決めといて!」 「適当だなぁ」  こっちを見ながら手を振る香奈を古びた駅で見送って、俺も帰路をたどる。 「……ホントに行ったことないのかなぁ、あそこの海」  家まで歩いてる途中、今日撮った写真を眺めながら歩いていた。  すると、目の前にかなりのスピードで自転車が走り抜けていった。 「あっぶね、なんだあの自転車。事故ったらどうす……」 ――事故――この単語に妙な恐怖を覚えた。事故に遭っていたのかもしれない、その恐怖とは違う、まるであのときと同じような感覚。 「……いやいや、何考えてんだ、俺」  さすがに事故には遭ったことない。だったら写真にはなくても覚えている。だけどそんな記憶はない。さっきまであの感覚について考えていたから変にそっちへ引っ張られているだけだ。 「さっさとかえって写真を印刷しようかな」  変なことを考えるのをやめてまっすぐ帰路についた。ただ、消えたわけではないことは確かだった。   ◇  遊びから家に帰ってからはなにかと忙しい。家に帰るのはほとんどが十九時とかだから、そこからご飯作ったり、お風呂入ったり、洗い物をしたり。一人暮らしの痛いところを毎回痛感してる。 「……はぁ、疲れた」  特に今日はいつも以上に疲れたいた。理由はいうまでもない、あの異物感。それは当然、今も残っている。それどころか、帰りの一件もあって、さらに大きく膨らんでいた。 「とりあえず、やることは終わったから、写真だけ現像して、今日はもう寝よう」  今日撮った写真をプリンターに送る。  ふとテレビのニュースが目に入った。 「電車の事故で十数名が死亡、他の乗客は意識不明の重体……」  凄惨な事故だ。こんなことに遭遇したらひとたまりもないな、と思っていた。 「……?」 ――海、写真、事故――  そのとき、なんとなくつながったような気がした。そしてあの妙な感覚。すべて同じ感覚がしたのには理由があった気がした。 「なにか、確認する方法、裏付けるようなものは……」  そうだ。写真。そう思って先ほど現像が終わった写真を手に取って目をやる。やっぱり、この光景に見覚えがある。行ったことがあるんだ。そう確信できた。しかしこの違和感の正体が分からない。とりあえず現像した写真を思い出ファイルに挟もうと物入れのふすまを開いてお目当てのものに手をやる。 「……この中に何か手がかりがあったりとかは」  そう思ってページをめくっていく。どれもこれも香奈が写っているし、この写真以外に違和感は感じられない。けど、一つ疑問に思うことがあった。 「確かに海には行った。けど、ホントに香奈と行ったのか?」  そう、海に誰と行ったのか。俺が誰かと遊びに行くなんて香奈以外にいない。だけど、どうしても違う気がする。 「何なんだ? この感じは、俺は一体、誰と……?」  ありえないはずなのに納得がいかない。おかしいはずなのに腑に落ちない。思い出ファイルを見ながらそうこぼす。 「あ、そういえば」  そうだ、もう一つあった、思い出ファイル。だけどこれはほとんど触っていない。というか一度も使ったことはない。写真はいつもの思い出ファイルに入れるけど、特別気に入った写真だけを入れようと思っていたけどすっかり存在を忘れていた。そもそも全部特別だから意味もなかったのだが。 「……一応、確認だけするか」  一度も使ってはいないので中身に写真は一切ないのは明らかだが、同じ思い出ファイルだったので、確認することにした。 「えぇっと、どこにやったかな」  使うどころか存在すら忘れていたのでどこにやったか覚えていない。ガサゴソと物入れのものをかき分ける。やがて、一番奥の隅っこ、縦の線と横の線が垂直に交わるところに潰されているのを見つけた。 「ずいぶんと汚れているな……」  無残な姿になった思い出ファイルのほこりを払う。そして、ページをめくる。 「まぁ、でしょうね」  見事なまでの白紙っぷり。当然何もない。 「うーん、他に何かよさげなものはないのか」  適当にページをめくって、ポン、と二冊目を閉じたとき、中から一枚の何かが落ちた。 「なんだ?」  写真だろうか。入れた覚えはないのに。そう思いながらそれを拾う。 「……え」  そこには、海と一人の少女。背景は今日撮ったのと全く同じ。だけど、一つ、ただ一つだけ、明らかに違うのが写っていた。心臓が、ドキドキと速くなる。 「……優花」  思い、出した……。  そう、そこに写っていた人物は香奈ではなかった。全く違う人物、俺の人生の中で一度も出会ったことのない人。だけど、しっかりと。覚えている。 「一体、どういう……」  何が起きている?なぜこの写真が?とにかく、まずは香奈に確認をとらないと。  そう思ってスマホに手を伸ばしたとき。  視界が、真っ暗になった。   ◇ 「……うぅ」  頭が痛い。ズキズキする。それに、なんだか体も重たい。開ききってないまぶたの隙間からなんとか周りを見渡す。 「え、ここ、どこ?」  周りには何もない。ただ真っ白い景色が永遠と続いているだけ。 「てか、俺はどれだけ眠っていたんだ? えっと、そういえば」  そうだ。あの写真を見た後、香奈に連絡を取ろうとスマホを取ろうとした。そしたら、急に目の前が真っ暗になったんだ。 「相川、優花……」  あの写真を思い出す。何がどうなっているのかと、考えていると、 「あら、お目覚めになりましたか」  どこからともなく声がする。だけど、周りには誰もいない。 「上ですよ、上」  そう言われて、上を見上げる。そこには、天使、というのが正しいのか、その使いなのか知らないが、神々しいオーラとともにその声の主が浮かんでいた。そもそも人が宙を舞うことなんてファンタジーくらいなので、さらに混乱してしまう。 「あらあら、そう取り乱さなくてもいいのよ」  そう言って目の前に降りてきたその人は、 「ごきげんよう、私はゼロンよ。よろしくね、こっちでは山田哲志くんかな?」  そう名乗ったその人は、なぜ俺の名前を知っているのか。一度に不可解なことが重なりすぎて、とうに眠気は消えていた。 「……ここは、どこなんですか」  とりあえず、一番気になっていることを聞く。 「ここは、そうねぇ。別に名前が決まっているわけではないの。けど、あえて言うなら、最後の場所、ね」  訳が分からない。最後の場所?最後ってなんの最後?返ってきた答えを加味しても、全く謎は解けないままだ。 「あなたは、なんでここにいるんですか」  ここがどこかは分からない。だけど、自分がここにいることよりも、突然上から降ってきたこの人の目的が気になる。 「それはね、あなたのこれからについて、私が担当することになったからここにいるのよ」 「俺の、これから?」  ますます訳が分からない。俺のこれからが何だって言うんだ? 「まぁまぁ、そんなかいつまんで説明すると余計混乱するわよ? 私が最初から説明してあげるから」  そういうと、ゼロンという人は、咳払いをした。 「そうね。まず、あなたは香奈ちゃんと遊んで家に帰った後、自分の中にある違和感について探り始めたわよね?」 「……あぁ、そうだ。どうも引っかかる気がして」 「その時点でかなり特殊だけど、そのときテレビでニュースを見た。どうしてあのタイミングで電車の事故のニュースが流れちゃうのかしらねぇ。ホント偶然って怖いわね」 「言っている意味が分からない。何が特殊なんだ? それにニュースについても」 「まぁまぁ、とにかく話を聞いて。それで、あなたの中にあった違和感たちが体系的につながり始めたのよね?」 「そう、あそこでやっぱり何かがあると思った」  あのときに、バラバラにあった違和感たちが一つになった気がしたのだ。 「そこで一つになったその違和感たちの正体について、なにか分かるものがないか探し始めた。自分の中の記憶や写真を見て何か手がかりを探した」 「……だけど、決定的なものは見つからなかった」  そう、あのとき、香奈が写っている海の写真を見て初めて行った場所ではないことは確信した。けど、この違和感の正体については何も分からなかった。 「そう、だからあなたは、何もないと思っていた二冊目の思い出ファイルを開いたの。何もなかったからそれを閉じたとき」 「……一枚の写真が落ちた」  そう、あの写真。間違いなく、あの写真は。 「まさか、あんなところにまだ残っていたなんて誰も思わないわよ。まぁ、これも上の奴らのミスね」  上の奴ら?いったい誰のことだ? 「そう、あなたは見つけてしまったの。前の写真を」 「……」  あの写真を見てから、すべて思い出した。あの日のことを。 「その様子だと、思い出したみたいね」        『前世の記憶』   ◇ 「あの日、俺と相川優花は、同じように電車に乗って海にでかけたんだ。そして香奈と同じように、初めての海だったから周りを探索したんだ。展望台やひまわり畑にも。そして最後に海にも行った。そこでも写真を撮った。その写真が、二冊目に挟まっていた」 「きっと前世で気に入ったのでしょうね。だから海で撮った写真だけ別のファイルに挟んだのね。だけど、それ以降使われることはなかったからあんなに奥にまで追いやられていたのね。正直、写真を現像しなくてもカメラの中に収まっているから、忘れてしまったのでしょうね」 「……そして、二人で帰ろうと言って電車に乗った。その日の電車は俺と優花以外誰も乗っていなかった。だから二人で目的地に着くまで喋っていたんだ。そしたら」  そして、この後。だからあのとき、同じ感覚を覚えたんだ。 「……電車事故に巻き込まれた」  そう、乗っていた電車が脱線して事故を起こしたのだ。 「それで俺たちは死んだ」 「そうね。この事故は全国的に大きく報道された。もちろん、実名も」  そうだ、前世での俺は、 「この脱線事故で佐藤弘樹、年齢は十七歳。そして相川優花、年齢は十七歳、二人の高校生が死亡したと報じられたわ」  佐藤弘樹。俺の前世の名前。そして、相川優花。俺の幼馴染みだ。 「まぁ前世の記憶を思い出したのなら話は早いわ。問題は、なぜ死んだはずのあなたが今こうして生きているのか。気にならない?」 「……あのとき、俺たちは確実に死んだ。生き残れるはずがない。なのに、どうして」  あれだけの大事故に巻き込まれて無事でいられるはずがない。 「そうね。でもあなたたちは一度死んでいるわ」 「一度?」  死の回数は一度しかないはずだ。言い方が引っかかる。 「えぇ。だけど、あなたは生きている。どうしてだと思う?」 「……分かるわけがないだろ」  何でもいいからさっさと知っていることを教えてほしい。 「それはね、ここが夢だからよ」 「は?」  夢?ここが?ふざけるのもいい加減にしてほしい。あの世界が夢だったらあんな長い時間過ごせるわけがない。 「あぁごめんなさい。あなたたちにはこう言われていたわよね。言い直すなら、ここは天国よ。まぁ信じろという方が無理な話ね。でも、事実よ」  天国ならまだ分かる。しかし、にしては過ごしてきた時間があまりにも現実的過ぎる。 「事実だとして、どこに裏付けるものがある? 天国だとしても、それらしきと思わせる要素なんて一つもなかった」 「そうね、なら前と今、何が違うのか教えてあげましょう」  そう言うゼロンは人差し指をピンと伸ばす。 「そもそも天国の特徴はいくつかあるわ。その中でも特に大きなものが時間と感情にあるわ」 「時間と、感情?」  概念的なものであまりに抽象的なもののためか、ピンとこない。 「そう。まずは時間。天国というのは皆が幸せに過ごす場所。だから闇なんてないの。闇ってどことなく怖いでしょ? だから天国には夜なんてないのよ」 「……」  衝撃だった。確かにあの世界には夜なんて存在していなかった。時間の概念はあったから午前零時とかだと深夜と言ったり、そろそろふけってきたという言葉もあるが、これはあくまで時間帯に対する言葉の表現であって日の落ち具合を表すものではなかった。特に、日が落ちてきた、という言葉なんてあの世界では一度も使うどころか、そんな言葉なんて存在していなかった。 「それを裏付けているものが太陽。あのオブジェクト、一日を通して微動だにしていないでしょ? それが夜がない証拠よ。それに、一日が時間を通して過ぎていくなんて当たり前すぎて意識しないでしょ? だから太陽にも疑問を抱かないのよ」  一日は二十四時間。当たり前過ぎてそれ以上のことなんて思う訳がない。 「……じゃあ、感情と言うのは」  正直、怖かった。過ごしてきた時間も、あの日々もなぜか偽物なのではないかと思えてしまうから。作られたものなのではないかと思えてしまうから。 「感情も天国の最大の特徴の一つよ。それに、あなたは既に経験してるの」 「経験?」 「そう、あなたは海辺で最後のフィナーレの最中、誰かとぶつかってカメラが傷ついたわよね? あれだけ大事にしていたものが、ましてやどこの誰とも知らない人に傷つけられたのよ。普通なら少しは起こると思わない?」  確かにその通りだ。あのカメラは傷が一つも残らないように使ったあとは家で手入れをしていた程だから。 「だけどあなたは怒るどころか相手の心配をしていた。これでわかるかしら?」  これだけ実体験をもとにヒントを与えられたら、嫌でもわかる。 「……この世界に、負の感情がない」 「その通り。よくできました」  パチパチと手を鳴らすゼロン。まるで手のひらで踊らされてるようだった。 「天国には負の感情がない。さっきも言ったけどこの世界は皆が幸せに暮す場所なの。だから物事に対する面倒くさいみたいな一人での感情はあるけれど、対人に向ける負の情は消されているのよ。例えば、憎悪とか嫌悪、復讐心みたいなものね」  誰かを嫌うことなんてなかった。むしろ惹かれていった。それは納得した。けれど。 「ここが天国なのは分かった。けど、どうして俺がここにいるのかが分からない」  一番最初に投げかけた疑問。ゼロンは最後の場所と言った。けど、最後という言葉が分からない。俺はまだ、あの世界では死んでいないから。 「……本当は、あの世界が天国であることを知るのは、禁忌なのよ」 「………は?」 「あの世界、天国にしては前の世界とほぼ変わらないでしょ? それは自分たちが一度死んだと悟らせないため。だからあえて前世となるべく同じ状況で過ごさせているのよ。まぁ今回はそれが裏目に出ちゃったみたいだけど」  禁忌に触れてしまったというのなら。ここが最期の場所と言うのに納得してしまう。 「……じゃぁ、俺はこれから死ぬのか?」 「うーん、そうであるけどそうじゃないって感じかな」  曖昧な返答に若干困る。 「さっきも言った通りここは天国と悟らせてはいけないの。もしあなたの様な人が出てきた場合は、またイチからやり直してもらうわ」 「イチから?」 「えぇ、つまりもう一度生まれ直してもらうの。もちろん、記憶も消してね」  そんな、今までの思い出は消えると言うのか? 「そんな都合のいい話があるとは思えない」  当たり前だが、ここまで現実を超越した話があるのは分からない。けど、人生をやりなおすなんてこと、生命を断つ以外には考えられないのだ。私がどうやら体験しているようだから。 「残念ながらそれがあり得るのよ。それに、私達、夢委員会が責任を持って当たらせてもらうわ」 「夢委員会?」  また訳の分からないことを言い出した。 「えぇ、このように人生における死が確定した瞬間、その人の情報が全て夢委員会に送られるの。そのデータをもとにして再度生まれ変わらせる。その引き継ぎ役が夢委員会なの。もちろんあなたの様な例外も私達夢委員会執行部が専門にしているわ」  本当に神様のような存在なのか、それとも夢委員会とやらはその集団なのか。どちらにせよ、俺はこれから死ぬのか。 「あなた達の言う天国は私達からしてみれば夢を見ているようなものなの。最初の死の瞬間から、覚めない夢を見ているようなものよ。もっと言えば、輪廻転生、かしら」  あぁ、結局あの現実はあってないようなものだったのだ。いくら思い出を作ったとしても、死んで生まれ変わったらないものにされる。  とてつもない虚無感に襲われた。どこにも儚さなんてなかったようだ。 「あらあら、そう落ち込まないで。その気分も、生まれ変わったら綺麗サッパリなくなるから」 「……香奈は」 「え?」 「香奈は、どうなるんだ」  自分がどうなるかは分かった。けど、俺と関わり続けた香奈は一体どうなるのか。 「あぁ、あなたの幼馴染ちゃんね。彼女の記憶を少しいじらせてもらうわ。ホントは香奈ちゃんも生まれ変わらせる方が早いんだけど、どうも上がそれを許さないのよ。ほんと、頭硬いんだから」  記憶を書き換える。なんかもうそれすら信じ始めてしまった。 「でも、もしかしたら香奈ちゃんもここが天国だって気づくのも時間の問題かもしれないわね」 「え?」 「実はね、香奈ちゃんも一瞬だけどあなたと同じ違和感に気づいたときがあったのよ。でもまったく気にしていなかったけどね。だから帰りの電車のときはそんなの知らないという反応をしたのね」  同じ感覚?てことは、まさか。 「同じ感覚を体験したというのなら、水野香奈は! 水野香奈は相川優花と同一人物なのか!?」 「……さぁ? どうでしょうね、忘れちゃったわ。もういいでしょ? あなたはこれから生まれ変わる。それさえ分ければね」 「答えてくれ! 香奈と優花は同じなのか!?」 「それじゃぁ、執行を開始するわね」 「待ってくれ!! たの――――」   ◇ 「……ふぅ、これで今日の仕事は終わりっと。後のことは上がやってくれるわ」  今日の仕事を終えた私はさっきの山田哲志との会話を思い出す。 「少し、話しすぎたかしら」  本当に大事にしていたんだろうでしょうね、あそこまで必死になるのですから。 「もしかしたら、先輩と後輩という関係で、また会えるかもね」  そう呟いて、その場所を後にする。 「はぁ、最近は妙な感覚を覚えてこの世界の真実に近づく人が増えているから、対策しないとね」  山田哲志が初めての例外ではなかった。ただ、彼はいくつもの偶然が生んだ産物のようなものだけれど。 「それもこれも、私達、夢委員会が責任を持って承らせていただくわ。あなた達の言う輪廻転生、それが、私達の仕事だもの」  そう言って、私はとある人を注意リストに入れるのだった。
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