終章、沙羅双樹の花の色

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終章、沙羅双樹の花の色

**  闇の中を、蝋燭よりも頼りない光が照らしている。足元もろくに見えない地獄の中で、血の繋がらない兄貴とふたり、庇いあい喧嘩しながら俺は生きてきた。  なのにあいつは死んだ。それも俺の知らない誰かに殺されて。  あいつを売った農家のやつらは遺体を引き取るのを渋ったが、引き取ったら代わりに俺が吉原へ行くと言って土下座した。  戻ってきたあいつの遺体は、まるで生きてるみたいに綺麗で、怖いくらい艶やかな黒い打ち掛けを羽織っていた。簪と帯には、恐ろしい鬼女の面が施されていた。  あいつを殺った黒幕はまだ見つからない。そう農家のやつらは話していた。  だから俺は、地獄太夫の名を利用しようと思いついた。その名を継げば、何か取っ掛かりが掴めるかもしれないと。  賭けだった。俺がもし黒幕ならば、同じ名を継ぐ花魁が気になるはずだ。  あるいは何がしかの証拠を握られたのではないかと疑って、探りに来る。それに賭けた。  身元引き受け人を別の家に代えて、遺品を風呂敷に隠し、何食わぬ顔をして俺は紺屋に入った。  そうしてあいつの死の真相を探り始めた。  血の気の多いあいつと面倒を起こした客は少なくなかったが、揉めた時期や、下手人が銃を用いたこと等を照らし合わせていくと、ようやく黒幕の外殻が見えてきた。  ヤクザもんの客にねだって毒を手に入れたが、黒幕がどの奉行所に詰めている役人なのかも、ましてはっきりとした名前も掴めないまま、歳月だけが無為に過ぎていった。  だがようやく太夫に昇り詰めて、ついにあの客が目の前に現れた。俺の前帯に描かれた鬼女の面を見たときの、あの怯えた目。  間違いない、この醜男があいつを殺ったのだとすぐに分かった。  やっとあいつの仇を討って、これでようやく死ねると思ったら、朔二郎、なんでお前までついて来るんだよ。  まったくお前はおかしなやつだった。   馬鹿力で口が堅そうだから、役に立ちそうだと思って近づいてみれば、お前は終始俺の足ばかり見て、触れて眺めて、喜んでやがる。  その顔を足蹴にして煙管の煙を吐きつけても、その横っ面を三度引っ叩いてみても、お前は怒るどころか熱に浮かされたような顔をして、 『金が貯まったら必ず身請けするから、待っていて欲しい』  なんていう。  バカなやつ。たかが傘差しの給金、貯めたところで俺を買えるかよ。舐めるなよ、この身の程知らずが……。  できねえ約束なんかいらねえと言ったのに、あいつは絶対そうするといって聞かねぇ。俺の意志はまるで無視なんだから、ある意味ひどいやつだ。  だけどその目には、嘘なんかひとつも見つからなかった。  本当はずっと知っていたのに。  あの目をもっと、もう少し早くに信じていたら、違う未来もあったのかな──。  ……線香の匂いがする。坊主が経でも読んでんのか。いいのに。別に俺なんて、腹をすかせた野犬にでも、投げてやりゃあ。
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