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紺屋傘差しの朔二郎は今年で数え十六になる。
花魁に傘を差しかける傘差しは、花魁や客を世話する他の妓夫同様に、紺木綿の股引きに紺の地下足袋を履いて、茄子紺色の半纏を黒い細帯で締めた姿で、花魁道中の補佐をする。
朔二郎は元は農家の次男坊だったが、飢饉のために両親と四人の兄弟を残らず喪った。
残された朔二郎は親戚に引き取られたが、最後にはその親戚も、貧しさのために口入れ屋の世話になった。
幼児の頃に左の耳から頬にかけて熊に裂かれた大怪我を隠し、吉原の大門をくぐったのが十四の時。
目立つ傷痕をいつまでも隠し通せるわけもなく、「これでは買い手がつかぬ」と嘆くお内所と世話役の遣手にはしばらくつらく当たられた。
が年頃になると、その痕すらも一種の凄みを帯び始めた。
もともと秀でた朔二郎の容姿に、肩下まで伸ばしまとめた黒髪の後れ毛が、はらりと落ちて傷痕を彩ると、ぞっとする色気が漂うのだ。
そこで遣手は、ものは試しと朔二郎に傘を持たせた。すると道中を行く男も女も、みな一様に朔二郎を振り返る。
やがて『うちで花魁をやらねぇか』と別な見世から誘いが来て、
「うちは倍払う」「うちはその倍を……」
数少ない吉原の大見世が、こぞって朔二郎欲しさに群がった。
それを朔二郎はことごとく断った。
紺屋でなければだめなのだ。
傘差しでなければ意味がない。
意味がないとはつまり、生きている意味がない。
理由は、この足──。
がらん、ごろんと高下駄を操る淡月格子の足首が、おしろいを佩いたその太ももが、花鳥風月を配した淡色の打掛と赤い襦袢の陰から見え隠れする。
重さ三斤を超す高下駄を、あの小さな足の指で引き上げ、すり出し、また掻き回すのかと思うと、ぴんと張った白いふくらはぎの筋が、朔二郎の目には酷く痛々しく、哀しく、艶美に映った。
あの脚をもっと虐めたい、腫れあがったふくらはぎを舌で味わいたい。それが叶わぬのなら、せめてひとときこの掌の上に、あの小さな足を載せてみたい。
(どうかしてる、俺……)
暗い願いは、願い続けても叶うはずもない。
一介の傘差しと、大見世の人気花魁。手を伸ばせば触れられる距離なのに、その背はあまりに遠過ぎた。
だがそれが、奇妙な運命の巡り合いによって、互いの間にいびつな結び目を描き始めたのである──。
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