二、陶酔

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二、陶酔

 それでどうしてそうなったのか、あの取り違え騒ぎから二日後の夜、朔二郎は淡月御付きの喜助から『花魁の着替え手伝いに来て欲しい』との頼みを受けた。  理由はわからない。  あの一件で淡月の興味をそそることでもあったのか、単純に人手が欲しいのか。  後者ならば、何も自分でなくともと首をひねったが、 「花魁のたっての希望ですから」  喜助が言う。例の新米だ。  あの失敗がよほどこたえたのだろう、今度こそ花魁の希望を叶えて機嫌を取りたいと必死の様子だ。  ここは顔を立ててやるべきだろうかと、朔二郎はため息をついた。 (なんで俺、こんなことしてるんだろう……)  喜助に案内された淡月の部屋はどことなく息苦しく、過ぎたばかりの逢瀬を感じる濃密な空気に満ちていた。  しゅるりしゅるりと花魁の背を滑る衣擦れの音は、湿原を這う蛇のようだ。  二枚着込んだ長襦袢から一枚ばかりを脱がせ、その上に寝巻きの襦袢を掛けようとすると、淡月は体をあちらに向けたまま、 「ぜんぶ脱がせて」  首を半捻りにして口を開いた。妖しい木蘭色の瞳に細く見つめられると、口の中がからからに渇いて「なぜ」とも問えなくなる。  進むことも引くこともできず真っ赤になった朔二郎に、淡月は「ああ」と片眉を上げ、 「人に触られたの着てるの、やだから」  抑揚なく冷ややかに答えた。  仕事仲間とあまり馴染もうとしない淡月とは、今日までまともに言葉を交わしたことはない。 「そんなに恥ずかしい?」  くすりと笑うと、その能面のような表情がいくらかほどけて人間らしいところが垣間見えた。朔二郎はやっと肺まで深く息を吸い込んだ。 「なぜ俺を呼んだんです。その、淡月」 「……」  淡月はまた片眉を上げた。 「何だっけ。ああ、昨日はありがと。おまえ強いんだな、びっくりした。そうだ、何かお礼をしたいと、思っていたんだけど」 「礼? そんなもの、俺は別に」  恐縮して退こうとしたが、淡月は下を向きぶつぶつ独り言を始める。 「あの野郎に触れられてるし……どうせ……だし……」 「用がないなら、もうこれで」  行かねば戻れなくなる予感がして踵を返した、その袖をぐんと引かれた。 「なに」  問うても答えず、力を抜いた指先でこいこいと手招きをする。そしてペタリと寝具に座り、 「来なよ」  と言われた。それから、 「へらないから」  とも。そうしてわずかに脚を開いた。 「なに……」 「だから、礼だって」 「礼……」の意味を理解するに至れば、 「いやっ、俺は、俺はそういうのはっ」  一気に頭が真っ白になり、言葉が見つからなくなった。  今しがたまで客に触れられていた長襦袢を一枚ばかり身に纏い、焚きしめた香のなごりに包まれる淡月の下肢から覗くふくらはぎは、あまりに白い。朔二郎は目を逸らした。 「ああ、おまえ男は知らないのか。それともまだどっちも?」  あけすけな聞き方に腹痛を覚え、返事の代わりに頭を下げる。 「じゃ、何でもいいよ、何でもしてやる。好きなの持ってって。かんざしも笄も、おまえにはいらない物だなぁ。ああ、でも」  何でもいいよ。何でもしてやる。何でも──何でも?  鍵をかけていた箱の隙間から、ぽた……と黒い雫が落ちて、腹の中に広がっていくような感覚がした。 「目ぇつけてる女にでもくれてやれよ。これなんか、シャバの女にも似合いそうだなあ」  朔二郎に背を向けたまま、淡月は鏡台の引き出しから閨房の御簾紙(みすがみ)を取り出した。 「悪いなこんな紙しかなくて」詫びながら、高そうな珊瑚のかんざしを紙に包み込む。 「あ、しを」 「そういう女がいないってんなら、いっそ質にでも入れてみろ。相場は知らないが、多分それなりには」 「あ、──足を!」  思わず声がひっくり返り、淡月がびくりと振り返った。 「どうしたよおまえ」  すごい汗だぞ。差し出された御簾紙には目もくれず、朔二郎は横坐りする淡月の足首に手をついた。 「お前の足に、触れてみたいのだが!」 「……もう触れてるじゃねえか」  
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