ただいま、、、が言えなくて

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いつもと、変わらない☀️。 部屋の窓を開けよう、そう思い、2歩あるいた時だった。  意識がなくなり、感じた事のない激痛が、頭から足の先まで、「雷で打たれた」そんな感覚だった。 何とかベッドまで戻り、痛みに耐え「家族」に聞こえない様に泣いて、耐えるしかなかった、、、、、、、 ——————////———————————-/- 1週間後。 整形外科に、何とか妻に、つれて行ってもらった。 他の病院も、何回か、、、、、 医師は「前例がないから」 そう、口にするだけだった。 もともと、医師に【何か】を期待していたわけではない。 想定外だったのは、「回復のメド」さえ口にしなかった事だ。 「嘘でも、一年後にあるける」 「半年はかかりますよ、、、」 その言葉に、、、、絶望した。 家に帰っても、何も感じなくなっていた。 僕は、「他人の立場」を小学校の時から、 考える、少し変わった性格だ。 例えば、高校の部活で失敗した事。  40才になるまで、「夢」をみた。 社会人になっても、困っている仲間がいたら、 朝まで、バス停で話を聞いた。 時には、友人の隣で「涙」することも。 ぼくは、他人からみたら「立派な人」かもしれない。 ただ、時には「家族」より仲間を優先する、性格は 【立派な父親】ではないだろう。 1番大事な家族を、傷つけている、それも事実だった。 足の怪我で、ベッドに寝たきりになり、ただ時間だけが過ぎて行った。カラーであるはずのテレビも、色の認識ができない状態。 ある日、携帯に撮ってあった「写真」を何気なくみた。 、、、、、涙が溢れた。       ぼくは、仲間がいた。    家族の為に、頑張ってきた。 ダメな人間だと、決めつけていた僕の脳裏に、 まどから、僅かに光が入ってきた。 【諦めたくない】、、、この時、頭の奥底から、 はっきりと、声が聞こえた。 まずは、ベッドの袖に、テープを貼り付け、筆記用具をまとめ、やるべき事を付箋に書いた。 あとは、ひたすら手紙を書いた。 気持ちを込めて、一文字づつ、涙で滲んだ時もあったけど。 やらなけるば、いけない事があった。 長女の大学、長男の施設。 「宜しくお願いします」 「うちの子供は、頑張ってます」 「どうか、少しでも良い施設に、」 「少しでも、楽しい毎日を」 何回も、顔もみたことのない相手に、 電話し、「手紙を書いた」 その想いは、通じ、最高の道を作ってあげられた。 僕は、手紙を書くのが得意だった。 しばらく忘れていた、、、けど。 それは、全て、ある偉大な経営者の影響だ。 20代から、10年の間、秘書業務の経験があった。 手紙を書いている時に、思い出したんだ。 すべて、師匠のマネになっていると、、、、 足の怪我から、1ヶ月、 「このままだと、一生車椅子だな」 「まあ、仕方ない」 「それで、いいのか。」 その迷いを断ち切らせたのが、テレビで活躍する、 「20代のスポーツ選手」 難病を克服し、第一線で活躍していた。 僕は、「絶対に負けたくない」と強く思った。 次の日から、激痛に耐え、「セブンイレブン」       「セイコーマート」、 目標を立て、雨の日も、泣きながら、歩き続けた。 リハビリしていても、猛スピードで、自動車が、 駆け抜け、すれ違う人に足を踏まれた事も、 度々あった。 人間が、、良い人が少ない、そう感じた。 僕は、リハビリ中も、道を譲り落とし物を届けた。 そう、みな善人から、争いはおこらない。 だから「優しい」だけでは、 何も、守れない。 時には、指摘し、喧嘩になってもいい。 1番悪いのは、【見て見ぬふり】 僕は、歩き続ける。 「強くなりたい」から。 苦しんでいる人の、虹になりたい。 少しでも、力になりたい。 僕は、あるく。 僅かなお金を、寄付しながら。 やがて、虹の色が、もっと綺麗に見れる日まで、、 えっ、、、。思わず声を上げた。 夢か、現実かわからない。  「プラチナ色」のカードが、突然郵便受けに  入っていた。 いつもの、催促状とは、全く違う封筒、いや、 色に入って。  しばらく、ただ黙って、明け方の「通販番組」を  見ていた。 「魂が抜けた」とはこの状態を指すのだろう。 「詐欺だ」 「オレオレ詐欺」 そうでなければ、きっと僕の、頭がついにいかれたの だろう、、、 プラチナ、いや、ブラック登録の僕が、そのカードの 意味を信じられるはずはなかった。 ただ、携帯電話の中には、「融資します」と。 もちろん、信じるはずは、ない。 しばらく、そのカードを、机の1番下に入れ、 ただの、「ポイントカード」の様に扱っていた。 1週間くらい後だろうか❓ 見知らぬ番号から、電話がかかってきた。 「恐れ入りまさすが、  「さようでございまさすか」 口調だけで、「ぶつじげ
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