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第一章 生き方
白壁に真っ黒な瓦。
木張りの長い廊下、中庭の大きな池と鯉。
チリン
襖が開いたままの部屋に、風鈴の音が響く。
その部屋には、一人の少女がいた。
その名は蒔田千(まいた せん)。
真っ黒な髪の毛を、赤い布のようなもので結っているのが特徴だ。
怖いくらい黄色い瞳で、まつげは長い。
真一文字に閉じた口は化粧をせずとも桜色だ。
まるで雪のような白い肌。
街でも評判の別嬪さんだ。
しかし、彼女は女にしては珍しく、着物ではなく袴を着ている。
真っ白な着物に深緑の袴。
彼女にはとても似合うのだが、まるで剣術を習う侍のようだ。
机に向かい、筆を走らせる千。
作業熱心で、一度始めるともう飽きるまではやめない。
数刻すると、一段落したのか、筆を置いた。
近くに置いてあった刀を手に取り、その部屋をあとにした。
「千。」
廊下で、後ろから名を呼ばれ振り返る。
そこには母親の糸がいた。
糸は心配そうな目で千を見つめ、千は何も言わずに立ち去ろうとした。
しかし、また糸に引き止められ、去ることができない。
千はわかっている。
糸の言いたいことが。
この家は、とても昔から続く武家だ。
男は幼い頃から剣術に励み、14になると正式な侍として認められる。
女はといえば、武家からしてみれば、本当にほしいのは男児。
女児なの正直興味はないものの、一応勉学などを精通させている。
15になればお嫁になり、それまでは女中などの仕事をする。
千は、女に生まれたことを憎んだ。
なぜなら、勉学が好きではないから。
だからといって、できないというわけではない。むしろ、姉妹の中ではできる方だと思う。
それでも、『きらい』と『できる』は別物なのだ。
それに、千は思う。
茶道や生花なんかは、嫁に行く女がやることだ。千は婚約もしていないし、嫁入りする予定もない。
これからするかもしれないなんか言ってむりやり勉学を千に押し付ける先生。
先生はわかっていない。
12にもなって、こんな大きな武家の娘が嫁入り先が決まっていないなんてことは、もう嫁入りは無理なんだ。
そもそも、千は嫁入りする気がない。
何度か誘われたものの、全て即答で拒否。
千にとって、女の生活というものは皮肉で無意味なもの同然だったのだ。
それならば剣術を学び、侍となり、護るものを守ったほうが自分の生き様に合うと、そう思い剣術を学んでいる。
姉妹は皆引いた。
そりゃあそうだ。
あんなにも勉学を得意としていたというのに、勉学を捨て剣術に移るなんて、『できない』人からすれば羨ましいことだ。
それに、女が剣術なんて常識じゃあり得ない。
それ故に、姉妹とは、元々少しは溝があったものの、その溝は広く、大きくなっていった。
男兄弟はといえば、地味に喜んだ。
女が剣術なんてやっていいのか、という不安感と、千という優等生ならばきっと、剣術も得意だろうという期待。
また、姉妹からの目線も気になる。
賛成論と反対論が飛び交う中、そんなことを気にせずに、千は道場の済で一人素振りをしていた。
しばらくすると師範が剣を見てくれるようになった。
優しい師範だ。
古江和馬(ふるえ かずま)といい、色素の薄い長髪の大人だ。
この道場を任されていて、みんなからの信頼も厚い。
優しい笑みを浮かべる師範だ。
その師範が千に近付くと、自然と皆も千と稽古をするようになった。
男兄弟との溝は、少し小さくなった。
と、言うわけで、糸はこのことを心配しているのだ。
女として生きないのか、と。
それを口に出して言わないのは、糸がお人好しのためか、それともわざと言わないだけなのか。
その悲しげな瞳を揺らすと、まるで千に「女として生きろ」と強制しているようにも見える。
「……嫌だ。私は自分の道を歩く。母上に決められることではない。」
きっぱりと断るも、眉を八の字に曲げて切ない顔をする。
「……そうよね…。母の身としては、少しさみしいけれど。…千の人生だもの、自分で決めなければね。」
そう言ってニコリと笑うも、その笑顔は全く嬉しそうではない。
まだ引きずっているのか。
千は「そうか。」とつぶやき、その場をあとにした。
中庭の池には、ただ糸の影がさみしげに映った。
〜続く〜
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