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第二章 不幸の始まり
「あ、姉様!!」
廊下の角から、弟の武千代が手を降る。
袴姿で木刀を持っていることから、稽古終わりなのがわかる。
「どうかしたのか。」
「あの、師範がお呼びですよ。」
「稽古?」
「いえ。ご用事、だそうです。」
「わかった、ありがとう。」
ポンポン、と頭に手を置くと、私は武千代を通り越して道場へ向かった。
門下生が次々と稽古から帰って行く中、私だけがその流れを反対に歩いていた。
「千さん、またね。」
「千ちゃんばいばいー。」
「お、千。またな!」
たくさんの人に手を振られ、私は「あぁ」とだけ応えた。
門をくぐって道場へ入ると、胡座をかいて木刀を肩に乗せた古江師範がいた。
相変わらず、いつもと同じ笑顔。
長い髪がサラサラと靡く。
「なんだよ。用事、って。」
私が素振りをしながら問うと、彼は笑顔で応えた。
「近頃、蒔田家が出張に出ると聞いたよ。確か、場所は京の都……だとか。」
「…あぁ。京の治安維持の取締とかなんとか。」
「そうだね。そのときの留守番を任されたんだ。拙者と千に。」
私は素振りをする手を止めた。
そして、師範の方を向く。
「え、どういうことだ?」
「うん、そういう反応だよね。」
フフッと笑うと、立ち上がって私の隣に立って素振りを始めた。
師範は出張に行くことが多かった。
なぜなら、剣を教えるほどの剣術が身についていたから。
護衛も何もかもすべて完璧にこなせたから、よく頼りにされて連れて行かれていた。
私はといえば、放って置かれていたのが過去だ。
着いて行っても、男でなければ結局は皆に変に思われるし、家に留守番としていても、留守を頼めるほど信頼はされていない。
そのため、私はいつも通り、散歩したりなんやかんやして過ごしていた。
しかし、今回は留守を任された。
留守と言っても、この大豪邸を任されたということだ。
それに、師範が残るというのもなにか違和感がある。
どういうことだろう。
なにか策でも練ってるのか?
それとも、今度の出張はあまり大変なものじゃ無い…?
いや、それでも50人は出る仕事だ。
大変じゃないことはないだろう。
「…父上に聞いてくる。」
私が行こうとしたとき、師範に腕を掴まれた。
「待って。」
「なんだよ。聞いたほうが手っ取り早いだろ。」
私がそう言うと、師範は顔を歪ませた。
「だめですよ。だって、頭(かしら)は…ろ…。」
私はピクリと反応した。
そう。私は、父親に嫌われている。
もとから嫌われてはいたものの、前は良かった方だ。
武家の子供は、大抵親に大切に育てられない。なぜなら、たくさん子供がいるからだ。
親と接する機会も少ない。
だから、前から愛されてはいなかった……ものの、今は当然嫌われている。
『女ならば、女らしく生きろ。』
そういう意見を突き通すから。
勉学なんて嫌いだ。
剣術のほうがよっぽど楽しい。
実際父上も、剣術を習ってきたんじゃないか。だから今武士として働いているのだろう。
なのに、何故……。
「師範、なにか裏にあるのなら、それは突き止めなければならない。何故なら、自分も他人も、守らなきゃならないから。」
私が師範に訴えると、師範は唇を噛んだ。
私は、みんなが思ってるよりも遥かに父上に嫌われている。
嫌がらせなどをされた時期もあったが、兄弟や母上、師範が止めてくださった。
それほど嫌われているというのに、自分から会いに行くなんて、私も随分と根性が座ったものだ。
それでも、自分や大切な人を守るためには勇気が必要だ。
こんなにおかしいことはない。
私と師範が留守番なんて、あの父上が指名さそるはずがない。
師範のちからの抜けていく手から、腕を離す。
私は早足で道場をあとにした。
私は、その時自分の体が震えていることに気が付かなかった。
〜続く〜
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