《消えない残響》2023年6月1日

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「被告人は令和4年9月4日22時40分頃、神戸市東灘区魚崎町一丁目大菅ビル3階にある株式会社高畠商会に押し入り、持参した刃渡り30センチの刺身包丁で同社経営者高畠昭一郎当時46歳の背中や胸部などを刺し、死亡させた。罪名及び罰条、殺人。刑法第199条」  椅子に腰を下ろした。公訴事実を読み上げただけなのに、もうすでに5日分の法廷を戦い抜いたような疲労感が蓮司を包み込んだ。目尻を揉んだ。漆原はじっと正面、裁判長の方を見据えている。 「審理を始めるにあたり、被告人にお伝えしておくことがあります」 裁判長の声、遠いものとして聞こえている。 「貴方には黙秘権があります。この法廷で貴方に様々な質問がされますが、その中で答えたくない質問には無理に答えることはありません。この法廷中、ずっと黙っていることもできます。その事で貴方が不利に扱われることはありません。もちろん、答えることもできますが、貴方が証言したことは貴方の有利不利に関わらず、この法廷ですべて証拠になります。それをふまえた上でお聞きします。先ほど検察官が述べた事実の中にどこか間違いはありますか」  漆原は一度斜め下に顔を向けた後、裁判長に向き直った。 「間違いはありません」 感情のない声で漆原が応えた。そういえばヒーローインタビューの時も、いつも素っ気なかった。 「弁護人のご意見は」 裁判長に問われ、漆原を挟んだ対面、70に手が届きそうな爺さん弁護士が大儀そうに立ち上がる。 「被告人と同意見です。事実関係は争いません」 歯が少ないのか、爺さん弁護士が喋ると空気が抜ける音が聞こえてきた。  私選ではなく国選の弁護士だ。蓮司は何度か法廷で顔を合わせた事があった。かつてのプロ野球のスーパースターにこんなそこいらのチンピラの事件を担当するような老弁護士がつくなんて。引退後、漆原が生活苦に陥っていたという噂は本当だったのだと考えざるおえない。
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