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漆原が引退したのは6年前だった。その前年に外野守備の際、遊撃手と激しくぶつかり、膝に重傷を負ったのだ。右膝靭帯断裂。交通事故なみの大怪我だったとニュースで報じられた。蓮司は漆原の復活を信じて止まなかったが、結局願いは通じなかった。怪我をした翌年、漆原は34歳の若さで引退した。
引退後の漆原はスポーツニュースなどでよく解説をしていたがその姿はすぐに消えた。薬物使用の疑い、違法賭博に手をだしているのではないかなど、常に黒い噂が絶えず、テレビ局はこぞって漆原から手を引いた。
そんなわけがない。あの漆原が。俺に勇気を与えてくれた漆原が犯罪などに。信じていた。蓮司は信じたかった。昨年、ニュースで漆原の犯行を知った時の衝撃は今でも鮮明に思い出すことができる。
「検察官」
裁判長の幾分か大きな声に蓮司の背筋が伸びた。
「冒頭陳述を」
おそらく何度も呼び掛けられていたのだろう。裁判長の声音には苛立ちとも呆れとも取れる感情が入り交じっていた。
蓮司は分厚いファイルを抱えて立ち上がった。
「先ほどから上の空に見えますよ」
裁判長が蓮司に言った。
「少し集中してください」
「すみません」
蓮司は頭を下げてから、漆原を一度見た。俺がここまで来ることができたのはお前のおかげだ。内心で漆原に語りかける。机の上に置いてある手帳が視界に入った。
『強い信念はどんな壁をも打ち破る』。この言葉の下にあるのは漆原克明のサインだ。10年前、漆原が蓮司に書いてくれたものだ。
「検察官が立証したい事実は以下の通りです」
自分の言葉が別の誰かのもののように聞こえた。始めるぞ、漆原。また内心で語りかけた。証言台の横にある長椅子に移動した漆原は警察官に両脇を固められ、虚空をただ見つめていた。
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