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第1章 わたしに天使(男)が舞い降りた
その日は見上げる空の濃い青さで思わず目が痛い、と感じるほど。雲ひとつない完璧な快晴の昼下がりだった。
こんなにいい天気なのに。集落では外の空気を吸いに表に出たり、陽当たりのいい海辺に出てきて爽やかな初夏の風を浴びてのんびり過ごしたい。という住人はあんまりいない。海を越えて遠くからやってくる大気にはまだ多少なりとも毒が含まれてるんじゃないか、と疑う気分がそこはかとなく残ってるから。
「ほんの四、五年程度の戦争で地球上の人類が一気に壊滅したってくらい、酷い放射能と科学物質が大量に撒き散らされたんだよ?たまたまここは特殊な地形のおかげで無事に済んだけど。外から来るものには用心するに越したことない。あんたも表に出るのはほどほどにしなさい、純架。無防備に海辺なんか歩き回って、無駄に太陽の光なんか浴びるんじゃないよ、いい歳して」
子どもの頃から綿々と浴びせられて既に聞き飽きた苦言を今日も母から呈されて、わたしはうんざりした気持ちが外に出過ぎないよう努めて冷静に言い返す。てか、『いい歳して』って。相変わらずひと言余計だ。
「わたし、一応今年の誕生日前でまだ十八だし。そんな言い方されるほど年寄りじゃないと思う、…けど」
母はまるで感じ入った風もなく、かえって火の燃えてるところにわざわざ油を追加された。って顔つきになって改めて腰に片手を当て、胸をぐっと反らせて上から言い募る。
「それはわかってる。てか逆に、そういうとこだよ?もう子どもじゃないじゃん、充分に年頃の娘でしょ。いつまでも空の観察がどうの、天気予報がどうのってのめり込んでないで。そんなのはさ、別に適当でいいんだよ」
「…そんなことないよ」
この土地だっていつも常に好天に恵まれてるわけじゃない。むしろ、天気は変わりやすいし台風の襲来も多い。雨が多くて旱魃は滅多にないし、温暖で雪も降らないからまあ、住みやすい人に優しい土地であるのは間違いないけど。
「もう春も後半でそろそろ初夏って言っていい季節だし。その前に梅雨もあるし、多少なりとも天気が先読みできれば当然それに越したことないから…。海が荒れる前に船を陸に上げとこうとか、本格的に雨が降る前に種まきを早めに済ませた方がいいだろうとか。予測の結果を活かせること、いくらでもあるよ」
わたしは麗らかな光の降り注ぐ窓の外に半分以上気を惹かれながら、うずうずしつつそう説明したけど。母は肩をすぼめてあっさり片付けてしまい、まるでこちらの主張にとり合おうとしない。
「そりゃ、理想を言えばそうだけど。現実問題として、TVで垂れ流してるようなちゃんとした天気予報が出来るわけないでしょ、現代のわたしたちに。あれは百年以上昔のロストテクノロジーなんだから…。あんたの仕事はせいぜい、明日明後日の天候の変調の兆しを読み取れたらそれで充分なの。それ以上は期待されてないの、初手から」
わたしが空や天気に子どもの頃からどれだけ惹かれてるか、百も承知の上でのこの言い草。
内心で思わずむくれながらもまあその気持ちはわからないではない。今の時代は労働力も資源も、どうしようもなくリソースは限られてるんだから。あるもの全てを大切に、必要な分野最優先で配分して使い尽くさなきゃならない。
そのためには極力、無駄なことに労力を注ぎ込まない。その原則は小さい頃から口を酸っぱくして言い聞かされてきて、当然わたしも先刻承知ではあるのだが。
そこまではまだよかった。次いでいつものお決まりの文句が頭の上から降ってきて、わたしは思わず知らず首をすくめた。
「…それより、無駄に放射能とか空気中の毒素とかを余分に浴びる機会は作らないでよ。もし万が一、あんた赤ちゃん産めなくなったりしたら。…その方がよほど、全然。人類の損失ってもんでしょ?」
「…はぁ」
まだ結婚もしてないのに。とか言い返すのはさすがにやめた。だったらいい加減、そろそろ決めなさいよ。と即刻要らない方向に話が転がっていくのは目に見えてるし。
ここで尊重されるのは何より頭脳、次に体力。でもそれより何より繁殖できることが偉い。子どもが生まれなくなれば人類の将来はこのまま先細りで滅びゆくしかないから。
ただでさえ人口は百年以上の歳月を経て少しずつ目減りしてきてる、らしい。だからうちの母みたいにわたしと妹、つまり二人の子どもを無事産んで育て上げた女性はどことなく誇らしげで常に堂々と振る舞ってる。
わたしが結婚しないとか子どもは産みたくないとか、うっかりぶちまけたら大変なことになるな。と内心で密かにため息をついた。…いや、何も。一生絶対に誰とも結婚したくないとかは。そこまで意固地になるつもりもないけどさ…。
別に何もそんなに急ぐことないと思うんだよな。世界大戦前の日本じゃ、すっかり晩婚化が進んでて。四十越えてから第一子を産む女性だって結構いたって話なんだから。わたしなんてまだそれより二十以上も若いじゃん…。
それは高度な医療技術と先端設備ありきの贅沢なライフスタイルだから、とまた喧々轟々のお説教が頭上から降ってくるのは火を見るより明らか。わたしははぁい、と納得した振りを見せてこそこそと自室へと戻る。
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