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貴之は茶碗と箸を持ったまま試供品のパッケージをじっと見て、それから言った。
「なんだ、マルチ商法じゃないか」
「え? そんなこと……」
「いや、間違いないよ。これと同じのをお客さんに勧められたことがある。最近はネットワークビジネスとか言うんだったかな。こっちが弱い立場だからってしつこいんだ。顔には出さないよう努力したけど、内心うんざりだったよ」
貴之はそう言い捨てると、またテレビに視線を戻した。
──マルチ商法? ネットワークビジネス? これが?
ネットワークビジネスは、広告を掲出せずに口コミを介して購入者を獲得していくビジネスだ。
親と呼ばれるリーダーをトップに、子会員がさらに孫会員を勧誘していき、ピラミッド型のグループを形成する。ピラミッドの頂点に位置するほど、より多くの紹介料や還元報酬を得ることができる仕組みだ。いわゆる"不労所得"を謳っているが、実態の多くは眉唾物だという。
違法ビジネスではないが、あまりいい評判を聞かないのは事実だ。
確かに友梨もネットワークビジネスと言われたら懐疑的になってしまう。しかし、夫に否定された、その事実が友梨の胸に黒い染みを広げてゆく。
「でも、茉莉香さんはそんな人じゃないし、それに今日来てた他のママたちもみんな飲んでるって言ってたよ」
むきになって言うと、貴之は赤魚の身を箸でほぐしながら言う。
「まぁ、どっちにしろ高いんだろ、うちはそんな余裕ないし断った方がいいんじゃないか?」
「余裕ないって、それ、私が働いていないせい?」
友梨は胸につかえていた黒い感情を吐き出すように言った。なぜこんなにも無性に苛つくのか、自分でもよくわからなかった。
「そんなふうには言ってないだろ」
妻の尖った声に、さすがに貴之もテレビから目を離して友梨を見る。
友梨は結婚して悠心を妊娠するまで、印刷会社の事務職員として働いていた。
しかし妊娠初期のひどい悪阻に悩まされ、仕事を休みがちになり、結局産休前に辞職することになった。
分娩も難産で、三日三晩、陣痛と闘い、今でも思い出すだけで胸の奥から吐き気が込み上げてくるほどだ。
よく、出産の痛みはすぐに忘れるなどと言われるが、友梨にとっては二人目の妊娠を拒んでしまうほどトラウマになっていた。
それに、挨拶もほとんどできずに急遽職場を去ったことで、不義理をしたという重い責任も感じていた。
悠心が幼稚園に入園したら新しい仕事を探そう、小学校に入学したら、と求職を先延ばしにし、今に至る。
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