1人が本棚に入れています
本棚に追加
駐車場で手を振る佐和子親子と別れた友梨は、後部座席に悠心を座らせ、運転席のシートベルトを締めた。
冷蔵庫の中身を思い浮かべ、夕食の献立を頭の中で組み立てながらハンドルを握っていると、後部座席から悠心の不満げな声が聞こえてきた。
「ねぇ、お母さん、僕もう航大くんと遊びたくない」
悠心にしてはきっぱりとした物言いだった。友梨は運転しながら、慎重に言葉を選ぶ。
「うーん、確かに今日、航大くんが悠心をぶったのはいけないことだよ。でも、悠心がブランコの順番を守れなかったのも良くなかったんじゃないかな?」
赤信号で一時停車しバックミラーに映った悠心の顔を見ると、案の定、頬を膨らませてうつむいている。
「……でも、あのあとずっと航大くんがブランコ使って、代わってって言っても全然聞いてくれなかったよ。ブランコ使いたいって言っただけなのに、一希くんもぶたれてた」
「そうなの?」
その場面は見ていなかった。ちょうど、コーチの不倫話に夢中になっていた頃だろうか。
「でも、学校のクラスもサッカーチームも一緒なんだから仲良くしないとね。ぶたれたら痛いからぶつのはやめてって言ってみたらどうかな?」
なんとか穏便に言い聞かせようと、友梨は優しい声音で言った。
「そんなの……何度も言ってるし」
悠心はますます不機嫌な声を出す。
信号が青に変わっていることに気付き、友梨は慌てて車を発進させた。
「もしかして、学校でもぶたれてるの?」
「ううん、学校では絶対一緒に遊ばないもん」
「そう……」
悠心に胸を張って言えることでは決してないが、多恵との関係性を考えると、このことを大きく騒ぎ立てることは友梨にはできないのだ。
我が子は絶対に悪くないと言い張るような母親ならともかく、息子が乱暴するたびに大声で叱りつけ、周囲に低姿勢で謝る多恵の姿を見ると、なかなか他人の口から注意することなどできないものだ。同じ母親として身につまされるような思いもある。
ただ、どんなに多恵が叱っても暴力が改善される兆しがないということが問題であるのは間違いない。
「今日みたいに、航大くんと離れて朋也くんと一希くんと遊んだらどう?ふたりは優しい子たちだよ」
「えー、でもつまんないもん。朋也くんは全然しゃべんないし、一希くんは、まぁ普通」
「普通? 一希くんとは幼稚園の頃から仲良かったでしょ? よく遊んでたし」
「幼稚園の時でしょー? 今は違うよ。僕サッカーできる広いところで遊びたかった。今日はお母さんばっか楽しくてずるい!」
──ずるい? 美味しいと評判のパン屋で、滅多に座ることのできない開放的なテラス席。
話したことと言えば、夫や姑の愚痴、学校の担任教師の評価、それから他人の不倫話。
先ほどまでの数時間が、息子にずるいと詰られるほど楽しいものだったのだろうか?
一度疑問に感じてしまうと、閉じ込めていた気持ちがあふれ出してしまいそうで、友梨は慌てて思考を止める。
楽しいわけない、ただの付き合いよ、そう叫び出したい気持ちを堪え、ハンドルを強く握りしめる。
悠心はもう黙って窓の外の景色を見ている。次の角を曲がれば、すぐに自宅が見えてくる。
最初のコメントを投稿しよう!