推しは推せるときに(以下略)

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推しは推せるときに(以下略)

パタン、と音を立てて冷蔵庫が閉まる。 「なんでツマミもお酒ももうないのっ!」 一人暮らしのキッチンで、理不尽なワガママを言っている。当たり前だ、ユリは普段めったにお酒なんて飲まない。たまたまあった飲み残しの1本に、今夜は感謝するべき。 「にゃあー」 「うん?大丈夫だよ、ありがとう」 冷蔵庫の前に座り込むユリに、飼い猫のルナが心配そうにすり寄る。 「ああ、今は君の優しささえ身に染みて涙でるわぁ……人生いつ何が起こるかわからないというのは、本当なんだね?えーん」 「にゃー」 気を紛らわすようにわざとらしいセリフを言ってみるけれど、言葉に表した感情が深まっただけだった。 今日はいつも通り帰宅して、ご飯を食べてお風呂に入った。あとは洗濯を済ませたら推しの動画を観て、幸せに包まれて寝落ちするという日課をこなす予定だった。 ゴォォー ドライヤーをしていると、視界の端でスマホの画面が明るくなった。まだユリの長めの髪は半乾きだ。後でもいい通知かどうかだけ確認しようと、空いている片手で手元に手繰り寄せる。 『ファンクラブの皆様へ重要なお知らせ』 それは、メールの受信通知だった。だいたい公式からのメールというものは、何種類か一定の送信時間パターンがある。 「え、こんな時間に珍しい……事前情報は何もなかったはず!なんのサプライズ発表だろう?!」 さすがにこの通知は後まわしにできない。ドライヤーは続けたまま、指一本でメールの詳細を開いた。 「うそだ」 その3文字しか出てこない。いやいや、おかしい。たしかに目に見えているはずの、メールの文面の意味がわからない。文字を見ているのに理解ができない、したくない。 とっさにドライヤーも止め、両手でスマホを包み込んで集中して内容全文を読む。もう、あと少しで乾く髪なんてどうでもいい。 どこにでもいる1人のヲタクの願いがもしも叶うのならば、画面をスクロールした1番下に 『なーんて、うそです♡驚いた?』 って書いてあってほしい。 普段ならそんなひどいウソは、ヲタクがぶちギレる。でも、いいよ。今なら泣き笑いして許すから、うそだと発表してほしい。でも残念ながら、エイプリルフールは先月だった。 今日は窓から入ってくるぬるい風が心地良い、残酷なほどに満月の綺麗な5月の夜だ。 『日頃の応援ありがとうございます。 以前より、度重なるメンバーとの話し合いを進めてまいりました。 この度 Blue Mondは、今行っているツアーを最後に解散する事となりました』 Blue Mond(ブルーモンド) めったに見られない希少なブルームーン現象と、何よりひかり輝くダイヤモンドを合わせたグループ名。 その名の通り、彼らの類い稀なる才能とキャラクターと楽曲は世界中へと届き、人気絶頂という言葉が相応しすぎる程に輝いていた。 皮肉にも今夜は、珍しいブルームーンの日。 それさえも演出なのだろうか。 そんな夜に、ユリの生きがいと言っても過言ではない、推しグループBlue Mondが、解散を発表した。
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