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「とりあえず先にお酒選ぶか……」
ため息まじりにとぼとぼと売り場を進むと、少し遠くにたった1パック取り残されたお肉以外の素敵なモノと目が合った。
「キミは、奇跡のお刺身……!!」
一気にユリのテンションが上がった。今日はきっと、星座占い最下位の日。推しは解散を発表する、やけ食いしようとした唐揚げもない。こんな日にちょっとくらい贅沢したっていいだろう!!彼氏もいないアイドルヲタクは、自分で自分を元気づけるしかないのですよ!これは運命の出会いだわっ!
「よし、マグロちゃんキミに決めたッ!」
と、心の中ではモンスターをゲットするボール的なものを取り出すポーズの気持ちで、マグロちゃん売り場に近づき始めた、その時。
サッと裏から出てきた、いかにも鮮魚コーナー担当の店員さんがそのパックを手にとってしまった。ユリに背を向けているので、手もとは見えない。まさか、廃棄にまわす時間だろうかと急いで駆け寄り、思いきって店員さんに声をかける。今日は、これ以上何も失いたくない。
「あの、ソレ!食べたいんですけど!」
振り向いた店員さんの頭の上に、控えめにはてなマークが浮かんでいるのが見えた。
「あ、ちがう……ソレ、買いたいんです!」
たかがマグロ1パックに、必死なユリを見て店員さんは明らかに少し驚いて目を丸くしている。
ユリも、振り向いた店員さんに動揺した。
『マスクしててもイケメン……?!』
危なかった、心の声が外に出ちゃいそうなくらいにはビックリした。すっぴんで来るほど近所のスーパーに、まさかこんなイケメンが働いていたなんて!
ユリがそんなことを瞬時に考えていると、イケメン店員さんが状況を理解して手もとのパックに視線を落とす。
「あぁ、コレですか?ちょうどこんな時間だから……」
「廃棄ですか?!」
「ふっ」
え、いま鼻で笑った?
「まだ大丈夫です、どうぞ」
そう言ってイケメン店員さんは、マグロのパックをユリに手渡してくれた。そして、エプロンのポケットから何かを取り出す。
「こんな時間だから、これを貼ろうとしてたんですよ」
ペタッと、彼がユリの持っているパックにシールを貼った。
「あ、え、50%引き?!やったぁ!」
「もう閉店間際ですから」
子どものように素直に喜ぶユリの反応に少し圧倒されながら、彼はあることに気付く。そしてなんとも微妙な顔をしたので、鈍感なユリでも気になった。
「あの、私の顔に何か付いてます?スッピンなんであんまり見ないでください……」
「あ、いえ、うーん……」
何かを言うのをためらっている彼に対して、今度はユリの頭の上にはてなマークが浮かんでいる。1本呑んできたせいか、少し距離感がおかしいユリがぐいっと顔を覗き込んできたので、彼は1歩後ずさりながら思っていた事を口に出した。
「食べて呑んで、元気出してくださいねSunnyさん」
一瞬で、ユリが目を逸らしている現実に戻された。Sunnyとは、Blue Mondのファンダム名。
あまりに有名なグループゆえに、ファンたちを呼ぶ名前さえも一般的に知られている。
「あ、はい、ありがとうございまぁす……」
動揺してペコペコおじぎしながら、彼の元を離れた。彼もまた、思ったより大丈夫じゃなさそうなユリのリアクションに、ためらった言葉はそのまま飲み込めばよかったと後悔していた。
逃げるようにお酒コーナーに向かいながら、ふと自分自身に視線を向けると、納得した。
スマホはあえて家に置いてきたものの、着ているスウェット地のパーカーは完全にBlue Mond のツアーグッズ。ポケットからはみ出して揺れている、キーケースに付けているキーホルダーだってBlue Mond の関連グッズ。極め付けは、普段通り家から履いてきたサンダルに付いている付属パーツ。誰がどう見てもSunny丸出しで歩いていたのだ。
そして今夜のグループ解散の事も、当たり前のようにビックニュースとしてヲタクに限らず世界中に知れ渡っている。
生活全般に染み込んでいて、そう簡単に離れられるわけなんてなかった。
唐揚げやマグロでいったいどれくらい今夜の自分をごまかせるのだろう……なんて、ネガティブを再発しそうになってしまった。
慌ててサッと自分が呑める甘いチューハイを1本掴んでカゴに入れ、ユリは足早にレジに向かった。
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