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恋の始まり1
遠く高い空をさらさらと流れる雲。咲き誇る薔薇の花。
庭園を鮮やかに飾る色とりどりの薔薇が招待客の目を楽しませる。
これは、この国、フリージア帝国の次世代を担う高位貴族の子供たちが招かれたお茶会だった。
でも、そんな華やかな場の中心に私――アンリエッタはいなくて。薔薇園の端にある生垣の迷路の中に追いやられて、泣いていた。
私をこんなところまで追いつめた子供――同じ高位貴族の令息だ――がふん、と鼻を鳴らしていじわるな顔を浮かべる。
「また泣いた! アリウム家のできそこない、アンリエッタ!」
「お前本当にアルファか? 俺の家のベータの使用人のほうがまだ器用だぞ」
この世界には、男女という二つの性別以外に、三つの性別がある。
それが、アルファ、ベータ、オメガという性。
まず一番数が多いのがベータだ。ベータ性を持つ人間は、いわゆる普通の人。
突出した才能や身体能力がないことが多い。高位貴族はアルファの血を残すように婚姻を繰り返してきたからか、ベータ性は高位貴族には少なく、下位貴族や平民に多かった。
次に、一番数の少ないオメガ。オメガ性は一言でいえば弱い性で、大人が言うには子供を作るための性別なのだそうだ。アルファと番になることができる性で、発情期、というものがあるらしい。アンリエッタはオメガではないのと、まだ子供なのでと詳しい話を教わっていないから、ここまでしか知らない。
ただ、その身体的特徴から、なかなか出世することができず、また家にこもっていることが多いから、社会的な地位はとても低い。高位貴族に生まれようものなら、番と出会うまで、あるいは婚姻を結ぶまでをずっと家で過ごすことも珍しくない。
そして、オメガと対極にある存在――オメガと番になることができる性別で、身体能力にも才能にも恵まれた社会的地位が高い性こそが、アルファ。アンリエッタのもつ第二性だった。
アリウム侯爵家に生まれたアンリエッタはアルファとして生まれ、それからずっと、アリウム侯爵家の次期女当主としての教育を受けている。
アンリエッタがベータやオメガなら許されなかっただろう次期女当主の地位は、第二性がアルファだからこそ許されるものだ。
その証拠に、アンリエッタの兄は次期当主にはなれなかった。いいや、アンリエッタが生まれるまでは嫡男だったのだが、アンリエッタが生まれたためにその地位から下げられた。
それは、彼の第二性がベータだからだ。
幸い、アンリエッタと兄の関係はいい。どころか、アンリエッタを溺愛する兄はアンリエッタが大きくなったときに困らないように、と商会を立ち上げ、アルファである父の助けを受けつつも、アンリエッタの個人資産を増やしてくれている。
父も、母も、兄も優しい。
アンリエッタを愛してくれている。
アンリエッタはそんな家族が大好きだった。みんな、アンリエッタに期待をしてくれている、とわかるから。
――それなのに。
アンリエッタはまた涙を流した。嗚咽が漏れて、白銀のさらさらした髪が涙にぬれ、頬にぺたりと張り付いた。
アンリエッタはアルファなのにどんくさくて、アルファの父や、同世代のアルファの子供たちが簡単にできることをできなかった。
手先が不器用で、刺繍はすぐにほつれてしまう。勉強は苦手で、どれだけ注意しても小さなミスをしてしまう。魔法も同じだ。おまけにあがり症だから、人前で上手に挨拶することすらできなかった。
侯爵家の、しかもアルファの、侯爵家次期当主として恥ずかしい。この事実は、アンリエッタの心をむしばみ続けた。
言い返すこともうまくできない。いつしか、アンリエッタはアルファという第二性に似つかわしくない、暗く、無口な子供になっていた。
「アルファのくせに」
「高位貴族の恥さらしだな」
目の前で、アンリエッタをののしる子供が言う。彼らの目には、アンリエッタは女の子、ではなく、将来のアルファとしてのライバルに見えているのだ。
アルファのくせに。そうだ。こんなことを言われるのも、アンリエッタがなにもできない愚図だからだ。悪いのはアンリエッタだ。
言い返すこともできない。なんにもできないアンリエッタ。ただかわいいだけのお人形。形だけのアルファ。
なまじ頭がいいから、アルファの子供たちの言葉は種類に富んで、いくつもいくつもアンリエッタの心を傷つけた。それなのに、やめて、とも言えない。
ひたすらに、アンリエッタを囲んで続く悪口に、アンリエッタがひくり、としゃくりあげた、その時だった。
「おい!何をしている!」
大人の声がした。令息たちはアンリエッタから視線を上げ、大人がいる、と口々に言った。
「やばい、アリウム令嬢をいじめてたことがばれたらことだぞ」
「おい、アンリエッタ! 大人たちには俺たちのことを言うなよ!」
「はやく行くぞ!」
令息たちはがやがやと話しながら去っていく。きっと、会場に戻れば彼らは品行方正な子供に戻るのだろう。アンリエッタが誰にも、何も言えないことを知っているのだ。
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