34人が本棚に入れています
本棚に追加
プロローグ②
王来寺家で脅迫状が発見された後、警察庁捜査二課の宇佐美俊介は上層部より特命を受けた。
すぐ直属の上司に報告に行く。悪い知らせは早ければ早いほどいい。
宇佐美の上司はこのところ機嫌が良かった。
今も寛いだ様子で、雑誌を眺めている。
宇佐美の先輩、石黒も九我の横に立ち、同じ雑誌を覗き込んでいた。
九我の机に近づいた宇佐美は、九我が何を見ているのかがわかると、軽く驚いた。
「九我さん、料理なさるんですか?」
意外にも二人が見ていたのは、主婦向けの料理雑誌だった。
「一人暮らしを始めたんだ」と九我。
「僕、料理は嫌じゃないんですが洗い物が苦手です。手が汚れるのがイヤなので生ゴミも掃除したくないです」
宇佐美が言うと、「俺は両方好きだ」と九我は雑誌に折り目をつけた。今夜のおかずが決まったのだろうか。
「またまたあ、好感度上げちゃって」と石黒が茶化した。「嫁にしたい警察官ランキングに入っちゃいますよ」
そうかと九我が笑ったところで、いまだと宇佐美は口を開いた。
「僕、王来寺篤人君の身辺警護を命じられました」
「管轄違うだろ」と、九我がイヤな顔をする。「なんで俺を通さないで、直接おまえに話がいくんだ」
「ごもっともです」
そうやって貴方が渋るからですよと、宇佐美はこっそり思った。
「向こうからご指名がかかったんだろ。あの優しそうな刑事さんがいいわあって」と石黒がニヤリとした。「例の詐欺事件で王来寺家の聞き取りは、宇佐美が担当したもんな」
王来寺美也子の内縁の夫が引き起こした詐欺事件は、去年九我たちが解決した。内容は単純なポンジスキームだったが、富裕層が狙われ、被害総額は一千億円を超えた。
美也子自身は名前を使われただけだと言い張り、上からの圧力もあって不起訴処分となったが、旧家の名に泥を塗ったことに変わりはない。
「脅迫状も、詐欺被害にあった者の仕業かもしれません」
と宇佐美が言うと、石黒も腕組みをして考え込む。
「行方の分からない金が、まだ二十億ありますし、あの家を探れば何か出てくるかもしれませんね」
九我は時計を見た。「帰る」と雑誌を閉じる。
七月には泊まり込みで仕事をしていた九我は、八月には定時帰りに戻っていた。
「何かわかったら、真っ先に報告します」と宇佐美は帰り支度をする上司に頭を下げた。
霞ヶ関を出た九我正語は、途中買い物を済ませて、越したばかりのマンションに着いた。
玄関を開けると、パジャマ姿の秀一が立っている。
秀一は「おかえり」と手を伸ばして、正語から買い物袋を受け取った。
玄関にテニスバックが転がっている。
「部活の帰りか?」と秀一の髪に触れた。シャワーを浴びたばかりなのか、まだ湿っている。
「オレ、電車嫌い」
「混んでたろ」
髪に触れたついでに頭を抱くと、秀一は素直に身を預けてきた。
もう耐えられない。
秀一の手から買い物袋を奪うとその場に放置し、華奢な身体を抱えてベッドに向かった。
すぐに冷蔵庫に入れなければならない物もあったが、構ってはいられない。
人に触れられるのは、どうしてこんなに気持ちがいいんだろうと、秀一はうっとりと、目を閉じた。
壊れ物を扱うみたいに、優しく、丁寧に体の隅々に指や唇が触れてくる。
キスも大好きだ。
「口、開けて」
正語に言われた通りにした。
舌が口の中を這ってくる。
歯茎の裏側は変な感じだし、その奥はゾワゾワするが、こうして体をくっつけているのは最高の気分だ。
「嫌か?」
正語が動きを止めた。
嫌じゃないよと、秀一は目を開ける。
見下ろしてくる正語の目と、まっすぐぶつかった。
「……おまえ、ここイジったりしないの?」
変なことを言うなと秀一は首を傾げた。
オシッコするところをなんでイジるんだろ?
「……食事にするか」
「正語、抱っこして」
言ったらすぐに、すっぽりと身体を包まれた。重みが嬉しくてたまらない。
いつまでもこうしていたい。
夕飯なんてどうでもいい。
——オレは今、幸せを食べているんだ。
『滅びの魔女』として恐れられた前世の記憶が戻り、秀一はなぜ自分が人の姿に転生するのかがわかった。
全てはこの魂を独占するためだ。
——正語、もう裏切らないでよ。
今世でも不実を犯されたら、もう終わりだ。
正語を無間地獄よりもっと酷いところに、未来永劫閉じ込めてしまう。
オレにはその力があるんだよ。
最初のコメントを投稿しよう!