体育倉庫の死体①

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体育倉庫の死体①

 東京山手線のS駅から私鉄に乗り換えて十五分、自修院大学前で降りる。  南口は賑やかなファッションビルに直結し、駅前には片側二車線の大通りが自修院大学まで伸びていた。  この大学通りに沿って、グルメサイトで有名な飲食店や小洒落た店舗が多く並び、駅前は昼夜問わず人通りが絶えない。  自修院大学の広大な敷地には、幼稚園から初等科までの建物と、自修院女子中等科、高等科の建物が併設されていた。  対して北口を出ると閑静な住宅街が続く。  ゆるい坂道を登った先に、高いコンクリート塀が建っていた。  所々、黒く変色した塀の高さは五メートル。上部には有刺鉄線が張られている。  この塀の向こうに立つのが、都内有数の男子校、自修院中等科・高等科の建物だった。  多聞忍(たもんしのぶ)は校舎の二階から正門まで続く並木道を眺めていた。  この並木の木は桜だが、今は八月。緑の葉が生い茂るのみ。  多聞が自修院高等科に入学したのは今年の四月だが、その時もすでに葉桜で、見頃の時期は過ぎていた。 (来年に期待だな)  入学当初、敷地を囲む高い壁を見た多聞は、荒くれ者を閉じ込める施設に放り込まれたかと身構えた。  だが、これは生徒の脱走防止ではなく、外からの侵入を防ぐためのものだった。  事実、多聞が通っていた公立学校と比べると、ここの生徒たちはかなり洗練されている。  女子か! とツッコミたくなるような男がゴロゴロいた。  環境が人を育てるというが、自分も以前より丸くなった気がする。  高い授業料を払っている親も満足していることだろう。  黒い日傘を差した女が、門に向かって走っていく。  ここは男子校。校内で女性を見るのは珍しかった。  多聞は窓から身を乗り出した。  よく見ようと目を凝らしていたら、肩に腕が回ってきた。 「何、見てんだ?」  ハルだった。  ハルとは入学早々隣の席になり、それ以来ずっとつるんでいる。 「女がいた」  多聞が言うとハルは笑い出した。 「おまえ、幻みんの早過ぎ。ここ入ったの今年だろ。俺は中等からいるけど、まだ正気だぞ」  中等どころか、この高辻春琉彦(たかつじはるひこ)は自修院に幼稚園からいるエリートだ。多聞より頭半分背が高い百八十五センチ。中等科ではテニス部のエースだったらしい。 「行こうぜ」  ハルに促されて窓から離れた時には、もう女の姿はなかった。 「今朝の電車、めっちゃ混んでなかったか? 昨日の車両故障の影響かな?」とハルはスキップをするように軽快に階段を下りる。  夏休み中の校舎は静まり返り、ハルの足音だけが響いた。 「急に錆びたらしいもんな。怖くね?」  昨夜のニュースは、スマホに入ってきた速報で多聞も知っていた。  電車の運行停止で、大勢の足に影響が出るのは毎度のことだが、急停止したその車両は、なぜかボロボロに錆びついていたという。  前の駅を発車した時には何もなかったのにと、怪奇現象のように扱われていた。  踊り場に立ったハルが振り返った。「子供だ」と声を顰める。  なんだ? と、多聞は残りの階段を下りて踊り場に立った。  バイオリンケースを抱えた子供——ハルに言わせると——が下から上って来ていた。  確かに小柄だ。百五十五センチあるかないか。可愛いが小学生にしか見えない童顔でもある。  だが自分たちと同じ制服だった。  ハルがガン見するせいか、その子は階段の途中で立ち止まり、俯いてしまった。 「おい(態度悪いぞ)」と多聞はハルの足を軽く蹴った。「行くぞ」と、階段を下りる。  すれ違う時、多聞はその子から声をかけられた。 「……あの」  声が震えている。  可哀想にと、多聞は笑顔を作った。 「(俺たちは、怖くないよ)なに?」 「……職員室はどこでしょうか」 「ここは高等科だぞ」と腕組みしたハルが踊り場から言う。「中等科は運動場の向こうだ」  ハルに言われて、その子はまた下を向いた。顔が青ざめている。 「……僕、高校生です……」 「(ごめんね)職員室は、この上だよ」と多聞は、また笑顔。「転校してきたの? 俺たち一年だけど、君も?」  その子はコクリとうなずく。 「俺、多聞。あいつはハル。シカトしていいからね」 「乾未央(いぬいみお)です」  と未央は笑った。ペコリと頭を下げると階段を上がって行く。踊り場でハルとすれ違う時、未央は怖々と避けるようにしたが、あとは一気に駆け上がっていった。 「おい! 来いよ!(なんで行った後も、睨んでるんだよ!)」  多聞に呼ばれてハルはやっと踊り場から下りてきた。 「あいつの顔、見たことある」とハル。 「前、ここにいたのか?」 「あいつ、篤人(あつと)の婚約者だ」 「はあ⁈」 「よくあるアレだな」 「なに?」 「女の子が、男の格好して男子校に転校してくるってやつだよ」  ふざけているのかと思ったら、ハルは真顔だった。 「バカか! そんなのマンガだけだ!」  ハルとダブルスのパートナーを組む秀一も天然だが、こいつも大概だなと、多聞は呆れ返った。  
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