体育倉庫の死体④

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体育倉庫の死体④

 夏休みとはいえ、運動部に所属していると、ほぼ毎日学校に通うことになる。  その上、秀一は一学期の成績が振るわず、夏季セミナーの受講を担任から厳命された。 「鷲宮(わしみや)君は、基礎からやり直した方がいいね。夏休み中に、これやって」  くまモンとあだ名される、秀一の担任、巨漢の熊崎はニコニコしながら、中学三年間分が詰まった英数国三教科のドリルを渡してきた。  一日の分量は相当なものになるが、七月は実家のゴタゴタで手を付けていない。  そのため、八月に入っての秀一は忙しかった。  朝練に出て、夏季セミナーを受講して、また部活。家に戻れば宿題が待っている。  引っ越した正語(しょうご)のマンションに行く時間も作れなかった。 『今度いつ来るんだ?』との正語からのメールは嬉しいが、身動きが取れない日々が続いている。  休み時間、机に突っ伏しながら、秀一は考える。 『滅びの魔女』として生きていた前世を思い出した今、自分に数学や英語は必要なのか?  欲しかった男を手に入れたのに、その男にも会えず、授業を受ける理由はどこにある? (……でも、くまモンはオレが落ちこぼれるのを本気で心配してくれている……)  部活は楽しい。くまモンをがっかりさせたくない。  結局秀一は、この多忙ループから逃げる考えを捨てた。 「おい」  ハルの声がして、秀一は顔を上げた。  だがハルは秀一の隣の席の未央(みお)に用があるようだ。  一瞬、ハルと目が合ったが、向こうはプイと顔を背けた。  ハルの横には篤人(あつと)もいたが、秀一はまた机に突っ伏した。  ハルはこのところ機嫌が悪い。  秀一がうっかり満員電車に乗った話をしたからだ。  出無精で家と学校を自転車で往復しているだけの秀一が、いつ満員電車に乗ったのかハルは訊ねてきたが、秀一は『言いたくない』と突っぱねた。  適当に誤魔化せばよかったのだろうが、友達に嘘はつきたくない。だからといって、正語のマンションに泊まった話は口が裂けてもしたくない。 (ハル、ごめん)  ハルは秘密を作られるのが嫌いだ。  それは分かる。  分かるが、正語との関係が知られれば、正語の立場が悪くなる。  十九世紀のイギリスにいた過去世を持つ秀一には、恐怖しかなかった。    ウトウトしていたら突然、後ろの席から鮎川(あゆかわ)の声がした。 「それ、やめた方がいいよ」  秀一はパッと起き上がった。  相変わらず未央の机の前には、ハルと篤人が立っている。 「馬鹿げていると思わないの?」と鮎川。  秀一は振り返って、鮎川を見た。「何かあったの?」  長期欠席が続いた鮎川も夏季セミナーが義務付けられたが、秀一と違いかなり勉強ができる。一学期中は口をきいたことがなかったが、わからない所を教えてもらっているうちに仲良くなれた。 「ハルがくだらない事を、未央にさせようとしている」と鮎川が言うと、「おまえには、関係ないだろ!」とハルが怒鳴った。  ハルは鮎川ではなく、秀一を睨んでいた。 (……オレ、何も言ってないのに)  不貞腐れて、秀一はまた机に突っ伏した。  間もなく大股で去っていく足音がした。  秀一は薄目を開ける。  肩を怒らせたハルが教室を出て行くのが見えた。  続いて「あっちゃん、話がある」と鮎川が篤人を連れて教室を出て行った。  机に寝そべったまま秀一は、隣の未央に顔を向けた。 「何があったの?」 「僕、王来寺(おうらいじ)くんの婚約者に似ているんだって」と未央が真っ赤になった。「今度、婚約披露パーティーがあるらしいんだけど、その婚約者の人と連絡がつかないから、身代わりになって欲しいって、頼まれた」 「アユは、それを止めたんだね」  そりゃそうだろう、人を騙すのは良くないと秀一は納得した。 「秀ちゃん、今日は忘れ物ないの?」 「全部、持ってる」  忘れ物の多い秀一は、筆記具を未央からよく借りる。 「数学の問題やった? 秀ちゃんの列が当てられる日だよ」 「……やってない」  未央はノートを開いて、秀一に渡した。  秀一は起き上がった。「ありがとう」と未央のノートを写す。 (未央って、ホント親切だな)  未央と鮎川のおかげで、秀一は地獄の短期集中セミナーをなんとか凌いでいた。 「バカな事、考えたらだめだよ」  人気のない廊下で篤人は、鮎川に言われた。 「未央が似ているのは、君の婚約者じゃなくて、再従姉弟(はとこ)美遥(みはる)さんだよね?」 「うん。ハルは記憶違いをしている」  言葉がスムーズに出る。  ストレスのない環境下で、親しくしている友人となら、篤人は普通に喋れた。 「僕も未央を初めて見た時、驚いた。彼は君の親戚なの?」と鮎川。 「わからない。男が生まれるのは珍しいから、すぐにおばあちゃんの耳に入ると思うけど、聞いたことがないよ」 「本気で、身代わりにするつもり?」 「……未央が嫌でなければ……」 「ボデイガードが殺されたばかりだし、君の家、物騒じゃないか。婚約者にどうして頼まないの?」  篤人は黙った。面と向かって口がきけたら、苦労しない。 『会って話したい』とのメッセージに、このままLINEで連絡を取り合いたいと返したら、相手から返信が来なくなったのだ。 「……逆に、警察の人が増えたから安全だよ」 「自分そっくりな顔見たら、美遙さん驚くだろうね」 「来ないよ。まだ調子良くないみたい。お母さんの方は来るよ。お姉さんの聖麗(せいら)さんも来る」 「フラれたショックで病んじゃったんでしょ?」 「でも別の人と婚約したんだって」篤人は手で笑いを堪えた。「美遙さんの婚約者の名前がさ、慈音(じおん)さんっていうんだよ」 「キラキラだね」と、鮎川はニコリともしない。 「(……ガンダム知らないんだ)そうだね……」  篤人はちょっとだけ、がっかりした。
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