最後に嗤う女③

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最後に嗤う女③

 八月も残すところあと数日。  自修院で起きた二件の殺人事件が被疑者死亡のまま終了して五日後、宇佐美は聖麗(せいら)に呼ばれた。  以前一度だけ訪れた聖麗の部屋は、すっかり様変わりしていた。  真っ白だったリビングの壁には、猫やライオンやキリンなど様々な動物が笑っている絵が描かれていた。動物達の上では青い空に白い雲が浮かんでいる。  お腹は全く目立たないが、白いマタニティードレスを身につけた聖麗は、キッチンから水を持ってくると、宇佐美に手渡した。 「カフェインもアルコールも断っているの」 「ありがとうございます。予定日はいつですか?」 「来年六月よ。双子座ならいいわ。私と相性がいいから」  室内には小さくモーツアルトの『フィガロの結婚』がかかっていた。ちょうど有名な映画にも使われた『手紙の二重奏』のパートだった。 「私、健康とか長生きとか考えたこともなかったの。人付き合いは煩わしいし、やりたいことも特にないし——でもね——」  聖麗は自分のお腹にそっと手を当てた。 「こうなってみると、生きることに執着してきたわ」 「結構なことだと思います」  安楽椅子に腰を下ろした聖麗は、じっと宇佐美を見た。 「あなた、終わった事件を一人で調べているんですって? 犯人は真壁ではないと、考えているの?」 「真壁さんの遺書にある通り、筒井さんと竹中さんの殺害や秀一君の拉致に関しては、真壁さんの犯行なのでしょう。でも美遙(みはる)さんの件に関しては、一切書かれていませんでした」  眠りから覚めた秀一の話を聞いた宇佐美は、真壁と慈音(じおん)の逮捕に向かった。  犯人逮捕時に酒気帯び警官がいたことを弁護士に突かれたくはないので、正語には秀一の病室に未央と一緒に留まってもらった。  宇佐美は一人で、真壁達がいる病院内の客間に入ったが、そこにいたのは、警備員に見張られた聖麗と慈音だけだった。  トイレに行くと言って出て行ったきりの真壁は、車内で服毒自殺。  背広の内ポケットには、聖麗あての遺書があり、犯行の自白と謝罪が書かれていた。 「美遙は事故死でしょ?」  聖麗は不快そうに顔を歪めた。 「あのバカ女がお金欲しさに、美遙を生きているように見せかけて、慈音と入籍させたのよね? 無効に出来てよかったけど。あの女が美遙を殺した証拠でもあるのなら、教えてよ! 私がどんな手を使ってでも、二度と外に出られないようにしてやる!」  王来寺富雄(おうらいじとみお)の広い屋敷を捜索した結果、白骨化した美遙の遺体が見つかった。   独特の宗教観を持つ藤子は、骨を祭壇に祀っていた。 「藤子さんにも、慈音さんにも、美遙さんを殺害する動機がありません」 「他人のお金に寄生するバカな親子!」聖麗は不味い物でも食べたような顔をした。「どうしてお父様はあの二人が親子だと、見抜けなかったのかしら」  慈音自身は知らなかったが、慈音は藤子が若い頃に産んで手放した実子だった。  ホストクラブで働く息子を探し当てた藤子は、客を装い慈音に近づいた。  太客としてしか見ていない慈音に、多額のお金を藤子は注ぎ込んでいる。  富雄から渡される手当の殆どを使い、更に大金を息子に使うためか、美也子の口車に乗って詐欺被害にもあっていた。 「……藤子さんが、美遙さんを殺害するとは思えません」  宇佐美は静かに言った。 「藤子さんは、後悔していました。自分が産んだ子供は、どんなことがあっても自分で育てるべきだったと」  それは自分自身に向けられた言葉だけではなかった。  望まない出産をした美遙に対して、産まれた子供は死産だったと偽ってしまった事も藤子は後悔していた。  美遙と一緒に未央君を育てればよかった——。  宇佐美が藤子の言葉を伝えると、聖麗は寂しそうにうつむいた。 「……私は、知らなかった……美遙が中学生で妊娠したなんて……高等科に入ってすぐに家を出て寮に入ったの……家であの女の顔を見たくなかったのよ……」 「いつお知りになったんです?」 「静江さんからよ。美遙にそっくりな子供を見た後、どういうことかって、静江さんに問い詰めたら、桐と藤って、謎かけみたいな言葉を聞かされたわ。それから調べたのよ——あの人、桐子って名前を聞いて、縁を感じたのね……」 「そうですか、静江さんからお聞きになったんですか……」 「やはり美遙は事故死だと思うわ——私、未央君のことを知って、美遙に会いに行ったのよ。親子の名乗りをさせてあげたいって思ったの。その話をしながら一緒に公園を歩いている時は調子が良かったのに、急に電池が切れたみたいになって、ベンチで休みたいって言い出したの……倫太郎が来る日だったから、ここに連れても来れないし……あの人、美遙を嫌うのよ……倫太郎と口論するところを美遙に見せたくないから、私は慈音に電話したの。近くにいるなら美遙のことをお願いしようと思って……今更だけど、慈音が来るまで私が側についていればよかったわ……」  美遙が殺害された証拠はどこにもない。  頭蓋骨に陥没の跡はあったが、事件なのか事故なのか立証することは困難だ。  今となっては秀一の証言——誰かが、美遙さんの頭を押さえつけて縁石に押し付けた——しかない。 「もし、美遙が殺されたのだとしたら、やはり未央君に間違われたからなのかしら」聖麗は眉間に皺を寄せて考えるような顔をした。 「筒井を殺した真壁は、それを美術教師に見られたから殺したのよね? 同じように、未央君に教師殺しを疑われて、口を封じようとしたんじゃないかしら?」  宇佐美は苦笑した。 「そうかもしれません」  たしかに公園内の防犯カメラ映像には、真壁の姿が映っていた。  だが懺悔が綴られた真壁の遺書には、未央や美遙のことは全く書かれていない。  聖麗への忠義心から筒井を殺害し、その犯行を目撃されて竹中を殺害。  除霊をする秀一を迎えに行くように聖麗から頼まれた真壁が、秀一の目を潰して拉致したのは、人を見透かす力のある少年に自分の犯行を見抜かれるのを恐れたからだ。  その場で秀一を殺害しようとしたが、祟りが怖いので藤子の犯行に見せかけるために美遙の部屋のベッドに括りつけたと書かれていた。  鷲宮家総代から秀一の病室に行くように言われた時に、真壁は死を持って償うことを覚悟したようだ。 「もし、美遙を殺した犯人が真壁以外にいると考えているなら、教えて頂戴。私も犯人逮捕に協力するわ」  宇佐美は、ありがとうございますと笑った。 「今伺ったお話は、大変参考になりました」
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