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最後に嗤う女⑥
聖麗の部屋を出た宇佐美は正語に電話をかけた。
「お休みのところすみません。今、聖麗さんと話したのですが——」
『まだ、そんな事してるのか!』
話の途中で怒鳴られたが、宇佐美は構わず続けた。
「聖麗さんは、未央君の母親が美遙さんだということは、ご存知でしたが、父親のことまでは、分かっていないようでした」
『もう、やめとけ。上からも注意された』
終わった事件を部下が勝手に嗅ぎ回っているのだから、正語の風当たりは強いのだろう。
「左遷されそうになったら守って下さい」
『俺の力にも限度がある』
「ご相談したいことがあります」
『巻き込むな』
「王来寺静江さんにお会いしたいのですが、断られています。なんとかなりませんか?」
しばしの沈黙。
『——うちに来い』
声から苦々しい顔が目に浮かんだ。
玄関ドアを開けたら、たたきに白い運動靴が置かれていた。
サイズからして明らかに正語のものではない。
「秀一君が来ているんですか?」
宇佐美がきくと、「寝てる」と正語がぶっきらぼうに答えた。
「すみません。お邪魔します」と宇佐美は靴を脱いだ。
リビングの低いテーブルの上には、何冊もの問題集が放り出されていた。
「夏休みの宿題らしい。中学からやり直せと言われてるようだ」
「そうですか……」
「適当に座ってくれ」
正語はオープンキッチンの向こうで鍋に火をかけた。
トマトや野菜が煮込まれたいい匂いがしてくる。
「どうぞおかまいなく」とソファーに腰を下ろして、秀一のドリルをめくった。
間違いだらけだ。
床に転がっていた消しゴムを拾うと、間違った答えを消していった。
正語が皿を片手にキッチンから出てくる。
「何やってんだ?」
「不正解を消してます」
「食べてくれ」と正語は手にした皿をテーブルに置いた。
「ロールキャベツですか。九我さんが作ったんですか?」
「正直に感想を言ってくれ」
宇佐美はドリルを脇に置いて、一口食べてみた。
「美味しいですよ」
お世辞抜きにそう思った。
「だよな。何が気に入らないんだか、全く食べてくれない」
「上にチョコレートソースでもかけたらどうですか」
鼻で笑って正語は再びキッチンに入った。
「ついさっき入った話だが、新宿で男の遺体が発見された」
正語がお茶を運んできた。
「恐縮です」
「公園のベンチに座っていた女を殺したとメモ書きが残されていた」
「みなさん、罪の告白をなさってからお亡くなりになるんですね」
お茶は、ほうじ茶だった。
「美遙さんの件もこれで終わりだ。諦めろ」
「筒井さんが殺された日、鮎川君は体育倉庫から出てきた女性は多聞君のお母さん、つまり王来寺美也子さんだと思ったんです。彼は何度も美也子さんと会っています。女は顔を隠していたけど、間違いなく彼女だと思った——だから警察に黙っていたんです。多聞君に辛い思いをさせたくないから、美也子さんが殺人現場にいたことを警察に言わなかったんです——鮎川君はなかなか鋭い子です。僕は彼の勘を信じます。王来寺美也子さんは、あの現場にいたんですよ」
「真壁が女装していたのかもな」
「防犯カメラの映像を消させたのは真壁さんです。『奥様が写っています。このままでは事件に巻き込まれます』と倫太郎さんに告げたそうです。大口寄付者の高辻家の命令で映像はすぐに消されました。変装までして殺害したのに、わざわざ映像を消させますか? 真壁さんは、聖麗さんが犯人だと誰かから思わされていたんじゃないでしょうか? 竹中さん殺しもおかしいと思いませんか? 犯行を目撃されて、警察に通報すると言われて殺害に至ったと遺書には書いてありましたが、竹中さんはあの朝、盗撮カメラを仕掛けていたんですよ。後ろ暗い事をしていた男が、警察に通報するでしょうか。その場にいたことすら隠したいのに」
「殺人と知って、正義感が起きたんじゃないのか」
「僕は何時間も美也子さんの取り調べをしてきました。彼女は根っからの詐欺師で人を操るのを楽しむ人です。この事件、裏には彼女がいると考えています」
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