泣いてみたくなったので恋をしてみました

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 奈々に指定されたカフェは都心の一角。  ガラス張りの店内は天井も高く開放的で、全体的に明るい雰囲気だ。  そして何より、至る所に飾られた花と緑が嫋やかで、客を和ませる。  遅れて到着した友加里は、如何にも奈々が好みそうなカフェだと思い、笑みを溢した。    友加里と奈々は幼稚園からの幼馴染みで、今年で付き合いは22年目に突入。  それでも性格は真逆。  どうして仲が良いのか不思議なくらいだ。    友加里は生真面目な優等生タイプ。  加えて父子家庭のお陰か、家事全般を趣味とする、しっかり者ときている。    そして一方の奈々は適当だが要領の良いタイプ。  裕福な家庭で育ったせいか、何一つ自分でやろうとしない。   未だに、下着も親に洗って貰う、と恥ずかしげもなく言いきる。  それでも仕事も遊びも一生懸命楽しむ性分は屈託がなく、男性からの人気が高い。   「お待たせしました」    ウエイターは一言を添えると、悩むことなく友加里の前にグラスを置いて去って行く。  然もあらん。  友加里よりも先に来ていた奈々の前には、既に口紅が付いた珈琲カップが置いてある。 「美味しそうね、一口頂戴」  気泡が浮かぶコーリンググラスから、ライムとミントが爽やかに香り立つ。  奈々は友加里の返事など待たない。  グラスを引き寄せると、躊躇なくストローの袋を剥きだした。    奈々の傍若無人はいつものことだ。  友加里は特に驚きもせずに、黙ってストローを咥える奈々を眺めている。    すると奈々の指先が、これ見よがしにコーリンググラスを小突きだす。    友加里の視線は嫌でも指先を捉えてしまう。    どうやらネイルアートに一言、欲しいようだ。    確かにモヒートソーダの淡いグリーンに映えていた。    奈々の爪は透明感のあるカラーをベースで、中央だけが淡いピンクで色付けされている。  ナチュラルにぼかされた技はプロの手によるもに違いない。  友加里は、血色感が可愛らしくも健康的な、そのネイルアートは奈々に良く似合っている、と素直に思う。 「綺麗ね」    褒め言葉を口のするのも友加里の役目。  無言のリクエストのお応えするのも楽じゃない。 「やだ、気が付いちゃった……今年の春のトレンドだって」  奈々は自慢げに手を翳す。    それに引き換え友加里の指先は造作もなく、無骨でゴツい。    好きで続けているバレボールの代償なので気にしていないが、今日は幾分か凹む。   「はい、少しあげる。美味しかった」  奈々はライムとミント、それに氷の残ったグラスを友加里の前に押し戻す。    これっぽっちも悪気はない。  奈々は何事も許される顔をしている。  美人ではないが愛嬌があって、可愛らしいのだ。    そして友加里はタンブラーの水をコーリンググラスに少しだけ注ぐと、ストローでクルクルと弄ぶ。  少しぐらいは喉の渇きを潤したい。 「じぁあ、私は行くね。6時に秀明さんと約束だから……これから美容院行くんだ」  すると奈々は徐ろにハンドバックを手にして立ち上がる。    秀明は奈々の最新の彼氏で、フルネームは若宮秀明。  付き合いだして1年だろうか……  奈々はプロポーズを今か、今かと待っている。  当然だろう。  若宮は航空会社勤務のエリートで年収も理想的。  加えて背が高く、顔面偏差値もそこそこ。  所謂、有料物件と言う奴だ。  休日の夕方に呼び出しておいて、15分で去って行く。  唖然とする間もない。  用件はネイルを見て欲しかったから……  多分コレクト。 「そう、よろしく言っておいて」  奈々は言葉が終わらないうちに背を向けていた。  友加里は揺れる尻が遠ざかっていくのが見送ると、首を竦める。    友加里のアパートから都心の、このカフェまでは45分。  勿論、伝票はテーブルの上に置いたままだ。    けれども友加里は寧ろ安堵の溜息を溢す。  長っ尻になれば話は惚気。  人様の惚気話など聞きたくも無い。  ましてや友加里は若宮に岡惚れしている。  さらに言えば、1度だけ寝てしまった。  お互いに魔が差したのだ。  そもそも、若宮は友加里の高校時代の友人がマスターを務める常連客で、友加里の方が先に出会っている。  けれども友加里は店で顔を合せても会釈をする程度。  何度か若宮から話し掛けられても、少しの笑顔を見せるだけ……  密かに想うのが心地よかった。   「お連れ様は帰られましたか?」  無意識に氷を弄び続けていた友加里の頭上に声が降る。  どうやらウエイターが空席に気が付いたらしい。  友加里は緩やかな動作で手を止めると、無言で頷く。    そしてウエイターが立ち去ったのと同時に、溶けた氷を飲み干すと、友加里は伝票を持ってレジへと向かった。      友加里はアパートの掃き出し窓を開けて、ベランダ越しに空を見上げる。  空模様を眺めるのが好きだ。  特に報われない恋を実感した日に拡がる鈍色。  雨が降り出すのが待ち遠しい。    奈々は今頃は若宮とランデブーだろうか……  友加里はセンチメンタルな気分に瞳を伏せる。    新しい恋人だと若宮の写真を見せられた時は心底驚いた。  そして内心、ほくそ笑んだのも覚えている。  友加里は成就する恋なんかに興味はない。  だって恋人になんかに成ってしまったら、後は嫌いになるだけだ。    降水確率は80パーセント。  PM10時からは降水量も10ミリを越えると予想される。    友加里は雨音をBGMに泣き明かそうと思う。  冷蔵庫にワインも冷えている。  姓名、霧島友加里。  年齢、25歳。  職業、助産婦。  身長162センチ。  体重50キロ。  バスト88センチ。  ウエスト58センチ。  ヒップ90センチ。  2013年ミス七夕。    非の打ち所のない友加里。  自己憐憫は何よりの贅沢だった。      
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