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旅立ち
船の来る場所に比較的近いホテルをセナの偽名で用意した。アキラもタツキも逃亡者だから手配されている。姿形はかなり変えてあるが、用心に越したことは無い。船を特定されてしまったら、今後の脱出者にも影響してしまう。
「船にはどれくらい乗ってるの?」
「上海までだから約1日半かな。真っ直ぐに国に向かう訳じゃないから到着までは10日ほどかけるんだ」
「……僕のフランス語、本当に通用する?」
「子どもの頃から教えてるだろ? 大丈夫さ、ばっちりだ」
小さい頃からフランス語と英語を教えていてよかった。つくづくそう思う。こんな日が来るとは思わなかったが、一度は国に連れて行ってみようか、と思っていた。フランスの山奥の丘陵にある屋敷は、人目にはつかない。たまに迷い込んで来る人間もいるが、決して手は出さず、無事に帰している。もちろん、記憶を操作して。
屋敷では働いている者も全てヴァンパイアだ。
「お父さんって、どんな人? 僕、その人のこと、なんて呼んだらいいのかな」
「アルフレッドって言うんだ。多分そう呼んでいいと思う。だってその父親のシバのことだって名前で呼んでるんだからな。性格は穏やかだって言ったろ? 怒ったところなんか見たこと無いよ。俺はどちらかというと悪ガキだったけど、いつも笑って見ていたよ。半分放任主義かな?」
祐斗に統主を『アルフレッド』、祖父を『シバ』と呼ばせることによって、大事な人間だという印象も深くなるだろう。話を聞いて祐斗に笑顔が出始めた。少し気持ちに余裕も出てきたのだろう、質問攻めにはならなかった。
ホテルは居心地が良かった。夏場ということもあり、プールは結構混んでいる。アキラは波のないプールに安心はしたが、浮力の無い水に戸惑っていた。
「海の方が楽かな」
そんなことを言っている。溺れかけたというのに、結構暢気なものだ。祐斗が教えたことに加え、あの時に受けたタツキの特訓の成果もあって、結構様になっている泳ぎを見せた。
「アキラ、すっごく上手になったね!」
「先生が良かったからね。助かったよ、最初っからタツキのスパルタじゃこうはいかなかったかもしれない」
祐斗はにやっと笑った。確かにタツキのスパルタはきつそうだった。
サイファから連絡が来たのは翌日の昼過ぎだった。
『用意できたよ。今夜11時。大丈夫だよな?』
「11時だな? 正確にその時間に行く。経路はいつもと同じか?」
『祐斗には裏経路を見せたくないんだろ? あんまり暗い世界を見せたくないからね。セナたちは案内の通りに行けばいいんだ』
こういう手配に、いつもサイファは手抜かりが無い。
『祐斗は?』
「少し落ち着いたよ。父上のことを『アルフレッド』と呼ばせたいんだ。シバにそれを伝えといてくんないかな」
『なるほどね、箔をつけるってことか』
「うん。それに血縁関係ってわけじゃないし」
『分かったよ、伝える。部屋の用意は?』
「俺と一緒。その方がトラブルが防げる」
『こうしたらどうだ? お前の部屋を二室ある部屋にする。続き部屋ってことさ。お前の部屋の奥に祐斗の部屋を置くんだ。べったりするよりいいだろ?』
セナの顔が輝いた。確かにその方がいいに決まっている。小さな子どもじゃないんだから。
「頼むよ! それは助かる」
『じゃ、それで用意しとく。後はなんでも言ってくれ。守らないとな、祐斗を』
サイファも同じ思いだ、祐斗を大切にしたい。”ついうっかり”手でも出されたら、そう思うと居ても立っても居られない。
「研究は? どうなってる?」
『お前にもらった資料が役立ってるよ。薄めた血液を断続的にっていうところに論点が定まってきている。完全なヴァンパイアになるとは言えないけど変化が出るのはそれが原因じゃないかな?』
「やっぱり俺のせいか……」
過ぎた過去は返らない。悔やんでも祐斗の体は元には戻らないだろう。
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