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先程までの幸せな時間の余韻に浸りながら、一人で風呂に入る。
『……兄さんの一番は、ずっとおれたちだったのに』
脳内で言われた台詞を反芻すれば、にまにまと我ながら気持ち悪い笑みが浮かんだ。まぁ一人だからね。気が緩んじゃうのもしょうがないよね。
あぁ言ってもらえるということは、少なくとも俺は弟が尊敬するに足る兄になれたということなのだろうか。
『れんりくんとけいたくんはかっこいいのに、どうしてゆうきくんはかっこよくないの?』
『それは……』
『ねぇユウ、ユウはケイのおにいちゃんだよね……?』
ふと昔のことを思い出し、幸せな気分から一転、苦々しい気持ちになった。
幼いころ、同じ幼稚園の女の子からの純粋な疑問に答えようとしたけれど口ごもってしまったレンや、親戚からの言葉に不安を感じたケイ。
どれも、俺がカッコよくなかったからだ。
あの頃の俺には、可愛がられる愛嬌のある顔も、皆が羨ましがる能力も何一つして無かった。いや、それは今も無いか。
俺は聖人でもなんでもない、普通の人間だ。
いつも比べられ、俺が劣っていると言われれば嫉妬だってするし傷つきもする。
可愛くて才能もある弟に対して嫉妬したことなんて、どのぐらいあったか覚えていない。
それでも、弟のことは何となく好きだった。
俺は普通の子だった。だからこそ、弟に良い格好したい気持ちも当然あったのだ。
しかし、俺はどうしたって弟を越えられなかった。
まだ諦めるという概念を知らなかった俺は純粋に悔しがり、ただ他人に認められることだけを求めて、色々なことにチャレンジするようになった。
『おとうさん、これよみたい』
『ユウキくんは本が好きなんだね……ってちょっと待とうかユウキくん!?』
『紬くん、どうしたの?』
『あぁ、莉緒くん。実はユウキくんがこれを読みたいって……』
『読ませてあげれば良いんじゃないの?』
『これをかい?』
『これ……は、確かに四歳の子が読む本じゃないね! ユウキくん、こっちはどう?』
『……でもこういう本よりもおべんきょうしたい』
『じゃあこっちを読んでみようか!』
難しい本を読めるようになればこっちを見てくれる人も増えるんじゃないかと思って、ときどき書斎にあった専門書を引っ張ってきて、読みたいと訴えては両親を困らせたものである。
しかし、その度に研究者の性なのか、両親は基礎についての本を渡してくれたり教えてくれたりしたので、幸いにも勉強することにおいて環境で苦労したことは無かった。
『おかあさん、おりょうりしてみたい』
『手伝ってくれるの?』
『おてつだいもする! ……けど、レンとケイみたいにならいごとみたいなやつやってみたい……』
『……そういうことなら、お料理教室でも探しましょうか!』
『ほんと!?』
『うん。ユウキくんはいつも頑張ってるからね!』
兄としてのプライドなんてとうの昔にへし折られていたが、ここまでくればもはや俺は意地になっていた。
かけっこは三番目だったし、お絵描きは弟だけが褒められる。
弟には勝てないまま、子供ながらの承認欲求は満たされることもなく、小学校へと環境が変わったのだが、そこで転機が訪れた。
小学校は幼稚園と違って、遊ぶ場所から勉強する場所となるため、当然の如くテストがある。
褒めてもらうためだけにしていた勉強が、ここに来てようやく役に立ったのだ。
初めてのテストで、俺は満点を取れた。もちろん難しいテストではない。それでも、これは十分自信へと繋がる。
るんるん気分で家に帰ってからテストを見せると、両親からもみくちゃにされて褒められた。俺が頑張っていたことを二人は知っていたからだ。
そんなときに、テーブルの上に置いてあったテストを弟たちが見たのだ。
『ユウくんすごいね!』
『ん、ユウかっこいい』
この瞬間、俺の中にぶわっと何かが湧き上がってきた。その何かがどんなものだったかなんて当時の俺には分からなかったし、今でも思い出せないけど、多分愛しさに近いものだったんじゃないかなとは思っている。
弟たちに褒めてもらえてるのはこれが初めてで、俺はようやくお兄ちゃんになれたような気がした。
誰かに褒められたくて始めた努力は、次第に弟たちに憧れられるお兄ちゃんを目標に、努力の方向もシフトされ。
弟にかっこいい兄になると約束してからは、より一層二人のためだと力が入った。まぁその約束に関しては二人は覚えてなさそうだけど。
こうして今に至るわけなのだが。
風呂から上がり、ドライヤーで髪を乾かす。それから眼鏡をかけて寝室へと向かった。
ベッドでは既に二人とも寝息を立てており、俺は空いている真ん中のスペースへと潜り込んだ。ちなみにこのベッドはキングサイズである。高校生男子三人だと少し狭いぐらいだ。
眼鏡は外し、サイドテーブルへ置いておく。ついでにスマホのアラームもセット……したいが、アラームで二人を起こしてしまうことを考え、アラームが鳴った瞬間目覚めることを決意。俺はわりと寝起きが悪い方なのだが、弟がいればすんなり目覚められるだろう。
就寝体制は既に整ったため、最後に二人の前髪を軽くかき分けてキスを落とす。
キスも、お互いの体に触れることも、そこに性愛は存在しない。
俺はただ二人を愛したいだけで、二人のために一生頑張り続けたいだけだ。
一生を二人のために尽くす覚悟なんてとっくにしている。
この気持ちを、恋だなんていう性愛が絡む陳腐な気持ちで表されるわけがない。
「レン、ケイ、愛してるよ」
(だから、二人の誇れるお兄ちゃんになるまで待っててね)
俺は電気を消した。
『夜は流し愛せよ兄弟』完
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