プロローグ

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プロローグ

 ゆっくりと引き金に指をかける。辺りは静かだ。目を閉じるとまるで時間が止まったかのように感じる。ここまでの時間はほんの数秒だ。  僕はゆっくりと引き金を引いた。瞬間、撃鉄が下り、乾いた音が鳴った。音に反応し、四人の男子は一斉に走り出す。全力疾走だ。 思いっきり腕をふり各々違うフォームで走る。最初の30mほどで横並びの列が乱れ始める。僕が引き金を引いてから11秒から12秒ほどで、四人は100m先を走り抜け、スピードを緩めて止まる。膝に手をついているのが見えた。その横では顧問が各タイムを読み上げていた。  そうこうしている内に次の組が準備を整えていく。向こうに合図をすると、顧問がそれに答えた。 「オンユアマーク」  英語だが、英語の発音ではない僕の言葉に三人の女子は自分なりのルーティンをもった動きでスターティングブロックに足を掛けていく。  全員が静止したのを確認したら、 「セット…」  合図に三人は腰を上げる。  ピストルを持つ右手を上げ、一拍置き引き金を引いた。  この一連の動作も雷管から香る火薬の匂いもすっかり慣れた。 今じゃ、陸上部で一番のスターターと呼ばれるほどだ。面と向かって言われたことはない。陰で後輩が言っているのを聞いた。別に怒りは湧かない。  スタート位置には自分のみ。ゴールには部員、マネージャー、顧問が話している。たった100mがとても遠く感じた。  顧問の号令で今日の本練習は終わり。部員達はクールダウンに入る。そして最後に顧問の挨拶、主将の号令で練習は終わった。  疲れただの、腰痛いだの、帰りどこか寄るだの聞こえてくる中、僕もグラウンドを後にする。 「陸斗(りくと)」  名前を呼ばれて振り返ると、櫻井(さくらい)竜太(りゅうた)が、駆け寄ってきた。同じ陸上部で、短距離を専門としている。 「一緒に帰ろうぜ」 「おう」  二人で並んで歩く。もう大分日が沈んでいる。微かな夕焼けと夜が混ざった空模様だった。 「つまんないだろ」 「えっ?」  竜太がボソッと呟いた。 「ずっと、スタート係で」 「いや、別に…」 「陰でなに言われてるか知ってるだろ?」 「まぁ」 「少し前までは、うちで一番のスプリンターで、俺のライバルだったのによ」 「…」 「ケガだって、もう完治してるんだろ?」 「…うん」 「だったら…」 「竜太」  竜太の言葉を遮った。耐え難い沈黙が訪れる。竜太はばつが悪そうに頬を掻いた。 「俺は…、つまんねぇよ」 「ごめん」 「…じゃあ、俺こっちだから」 「また明日」  別れ道で竜太は片手を振り、学校の寮へと帰っていった。僕はその後ろ姿が見えなくなるまで、歩きだせなかった。  この気持ちはどう表現するべきなのか、罪悪感なのか、悔しさなのか、羨ましさからくる嫉妬なのか。  それらがちょっとずつ集まって出来たものなのか、理解できなかった。
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