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被せるようにそう言った僕に、理事長が目
を瞠る。けれどすぐに相好を崩すと、じゃあ
頼んだよ、とやさしく肩を叩いてくれた。
『清濁を併せ吞む』という言葉は彼のため
にあるのではないか、と、思ったことがある。
加害者家族を支援することで外部から批判
を受けることもあるのに、それでも臆するこ
となく正面から加害者側という立場に立つの
は、そうしなければ、彼らが安心してSBU
を頼ることが出来ないからなのだろう。
――そして、僕にも信念があった。
救えなかった親友の代わりに、誰かを救う
という、信念。それは加害者家族にしてみれ
ば独りよがりで、理事長の純粋な信念に比べ
れば身勝手なものかも知れないけれど。
それでも、これが僕の生きる意味だった。
僕は、僕の目の前にいる人たちを救う。
そして僕の前で彼女が苦しんでいるのなら、
迷わず手を差し伸べたかった。
「これ、洗って返します」
水分を吸い取ってしんなりとしたハンカチ
を手に言うと、理事長はそれを、すっ、と僕
の手から抜き取り、ジャケットのポケットに
仕舞った。
「こんなハンカチ一枚、洗うのはどうって
ことない。それより、近いうち食事でもどう
だろう?たまにはゆっくり酒でも吞みながら、
積もる話でもしようじゃないか」
「はい、ぜひ。場所と時間は都合つけます
ので、いつでも……」
「いやいや、今回は外ではなく拙宅に君を
招待したいんだ。たいした持て成しは出来な
いが、菜乃子もレシピを見ながら腕を振るう
と張り切っていてね」
「えっ、理事長のお宅に……ですか?」
人差し指で天井を指しながら茶目っ気のあ
る眼差しを向ける理事長に、僕は素っ頓狂な
声を上げる。
SBUの事務所は、実は貴船理事長の所有す
るマンションの一階にあり、彼らは最上階の
五階に居を構えていた。けれど、僕が理事長
宅に招かれたことは一度もない。忘年会や新
年会、普段の飲み会などは他の職員と共に参
加することはあっても、自宅に招かれるのは
初めてのことだった。
SBUに入職して二年余り。積もる話という
のはいったい、どんな話なのだろう。そんな
ことを考えていると、理事長は僕の顔を覗き
込んだ。
「そんな身構えるようなことは何もないよ。
うちじゃ緊張するというなら、店を予約して
も構わないんだ」
「とんでもない。ぜひ、お邪魔させていた
だきます」
「そうか、良かった。日時はまた、改めて
決めるとしよう」
言って、理事長が化粧室を出てゆくので僕
も後に続く。誰もいない廊下を並んで歩き始
めると、すぐに彼の懐から携帯が振動する音
が聞こえた。携帯を取り出し、液晶画面に
表示された番号を見たままで、理事長が言う。
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