第三章:見えない送り主

7/39
161人が本棚に入れています
本棚に追加
/127ページ
 「シャーロックホームズやエルキュールポ アロにはなれなくても、姿の見えない敵から ヒロインを守る逞しいヒーローにはなれそう。 佐奈ちゃんのこと、これからもお願いします ね、卜部さん」  最初に渡した僕の名刺と、カットバンが貼 ってある頬を交互に見て、すべてを悟ったら しいすみれさんが朗笑を向ける。  さすが元新聞記者だな、と、そんなことを 頭の片隅で思いながら笑みを返すと、僕たち はマンションを後にしたのだった。   藤治さんと肩を並べ、駅までの道筋をの んびりと歩く。まだ陽の高い休日の街並みは、 どことなくほのぼのとした空気が流れている。  僕は絵の具をひっくり返したような青空を 見上げると、下を向いたまま隣を歩いている 彼女に言った。  「いい人だったね、お義姉さん」  「はい」  「突然押し掛けたのに、嫌な顔ひとつせず 僕たちを上げてくれた」  「はい」  「お兄さんのことも大事に想ってくれてる みたいだし、元新聞記者だけあって機微を捉 えるのが得意そうだった」  「そうですね」  何となく沈んでいる様子の彼女を気に掛け ながら顔を覗く。すると、ふいに「あ!」と 声を上げて彼女が僕を見上げた。  「わたし、『結婚おめでとう』って言うの 忘れちゃいました」  思いがけず彼女の真剣な顔が近づいたので、 僕の心臓は大きく跳ねてしまう。ふわと二人 の間を吹き抜ける風と共に彼女の甘い香りが 鼻腔をくすぐり、僕は慌てて前を向いた。  「確かに。でもこれからはいつでも会いに 行けるんだし、お兄さんがいるときに言って あげればいいんじゃないかな?」  何の気なしに言うと、彼女は何かを思い出 したようにまた俯いてしまった。  「信じていいんでしょうか?すみれさんが 言ってくれたこと」  「信じていいって、何を?」  「兄はわたしを恨んでないって、言ってく れたことです」  「ああ、そのことか。うん、信じていいと 思うよ。彼女は嘘をつくような人には見えな かったし、事件の背景を全部知ったうえで君 たち兄妹の仲を取り持ちたいと思ってる感じ だった」  トレンチコートのポケットに両手を突っ込 みながら、「そうじゃない!」と声を荒げた 彼女を思い出す。会えないまますれ違ってし まった兄妹を、なんとかもう一度繋げようと する真摯な思いが感じ取れた。  「卜部さん」  「?」  突然、往来の真ん中で立ち止まった彼女を 僕は声もなく振り返る。犬を散歩させるお爺 さんやジョギングをする若者が、僕たちを避 けるようにして横を通り過ぎた。  「わたしが兄に恨まれていると思った理由、 まだ話してなかったですよね?」  「うん」  「どうしてわたしがそう思ったのか、その 訳を聞いてもらえますか?」  追い風に靡く髪を掻き上げながら、彼女が 僕を見据える。僕は差す影が濃くなり始めた 彼女の瞳を見つめると、口を引き結び小さく 頷いた。彼女が僕の元に駆けてくる。そして 隣を歩き始めると、訥々と話し始めた。
/127ページ

最初のコメントを投稿しよう!