第三章:見えない送り主

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 「兄は頭が良くて、成績優秀で、学校でも 塾でも常にトップにいたんです。だから暗黙 のうちに周囲が志望校を決めてしまった感じ があって。西村君はT大を受けるに違いない。 絶対難関大を受けるに違いないって、誰もが 思ってました。進学校の特進クラスにいると、 難関国公立大を受けるのが当たり前、みたい な空気があるんです。だから兄も周囲の期待 に応えるしかなかった。本当はプレッシャー に弱くて、重すぎる期待に潰されそうになっ てたのに、言われるまま最難関大を目指した んです」  ニュースや新聞では知ることの出来ない 事件の背景に、僕は耳を傾ける。彼を殺人に 駆り立てるほどの闇は、どのようにして生ま れたのか?僕は相槌を打ち、先を促した。  「亡くなった心春さんとは、高校一年の秋 からずっと付き合っていたんです。同じ高校 の普通クラスにいた心春さんは、指定校推薦 で早くに進路が決まっていて、あとは兄の 合格を待つだけでした。校内外の模試でずば 抜けた成績を維持していた兄の吉報は、誰も が信じて疑わなかった。だけど、兄は……。 本番で力を出せなかった兄の悔しさは察する に余りあるんですけど、受験に失敗した本人 よりもその結果を恥じたのは母だったんです」  「恥じるって、そんな」  僕は思わず眉を寄せる。  どんなに成績が良くても、『絶対』受かる と言い切れないのが、受験だ。たとえA判定 を取っていても、合格率はたかだか八十パー セント程度。ということは、単純に数字だけ で考えれば五人に一人が涙を呑む結果になる ということになる。  受験には運や勝負強さなど、色んな要素が 絡んでいるのだろう。僕は遣り切れない思い で話の続きを聞いた。  「教育委員会で教育長を務めていた母には、 学歴至上主義みたいなところがあって。夫婦 揃ってT大を出ていることや、父が大学病院 で外科医をしていることをとても誇りに思っ てたんです。だから、異常なほど世間体を気 にする母にとって、兄の不合格は耐え難いも のだった。浪人生活が始まってすぐ兄が志望 校を下げたいといった時も大反対して、T大 以下の大学に浪人する価値はないと兄を説き 伏せたんです。絶対受からなければというプ レッシャーを背負い続けたまま二度目の受験 に挑んだ兄は、また失敗してしまって。その 年の夏ごろだったと思います。母がわたしに 志望校を変更するように言ってきたのは」  のんびりと駅までの道のりを歩いていた僕 たちは、その途中にあったマンションの中庭 にあるベンチに腰掛ける。陽の温もりを感じ る木のベンチに腰掛けると、彼女は息を吐き ながら言った。
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