第三章:見えない送り主

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 「待たせたな」  「おぅ、来たか」  漆喰を様々な方向に引きずった赴きのある 壁に囲まれた空間で、ひとりジンジャーエー ルを飲んでいたマサが、手を挙げる。  僕はスチールとパイン無垢材を組み合わせ たお洒落な椅子にコートを掛けると、壁を背 に座るマサの隣に腰掛けた。  三畳ほどのスペースに置かれた丸テーブル に、壁に設えてあるステンドグラスの窓から 射し込む灯りがうっすらと伸びている。その 灯りに照らされた親友の顔は、岬さんが言っ ていた通り、酷くやつれていた。  「忙しいのに呼び出して悪かったな」  「暇な時なんかねーよ。お前の呼び出しで もなきゃ、今日もカップラーメン啜ってまた 仕事だった。酒は飲めないがここは気分転換 にうってつけだ。ホットサンドも旨いしな」  「今日も徹夜なのか?」  「まあな。二十二時から捜査会議が始まる から、それまでには署に戻らなきゃならない。 だから、休めるのは正味一時間か。悪いが話 は手短に頼む」  そう言って大きな口を開けホットサンドに かぶりつくマサに、僕はあの手紙を差し出す。  あらかじめメールで詳細を聞いていたマサ は、これが例のヤツか、と言って片手で手紙 を開いた。  「筆跡は早川永輝のものでも、その奥さん のものでもなかった。メールでも伝えたけど、 消印から手紙が投函されたのは事件のあった 地域だってことがわかってる」  「当麻心春殺人事件か。事件が起きたのは 八年前の二〇一×年。現場はK沢区にある 海山公園の展望台。当時二十歳だった当麻心 春が、高さ十五メートルの展望台から恋人で ある西村永輝に突き落とされ死んだ。死因は 頭部打撲によるくも膜下出血、及び脳挫滅。 西村本人の通報で救急搬送されたが、四十六 時間後に死亡が確認された。殺害の動機は、 別れ話の縺れ。いわゆる葛藤殺人だ」  「葛藤殺人?」  「ああ」  捜査資料を諳んじてきたらしいマサに僕が 首を傾げる。すると、ジンジャーエールでホ ットサンドを喉に流し込み、マサは続けた。  「怨恨や痴情の縺れなど、精神的葛藤が引 き金となる殺人のことだよ。他にも性欲殺人、 私欲殺人、隠ぺい殺人なんかに動機は分類さ れるんだが、葛藤殺人はとかく突発的な犯行 が多い。計画性、凶器の有無、事件後逃亡し たかどうかなどの状況証拠で殺意があったか を判断するんだが、彼の場合、殺意はないと 判断されたようだな。懲役十年の実刑判決を くらったが、改悛(かいしゅん)の状※が認められて七年で 仮釈となった訳だ」  「なるほど」  細かいことまではよくわからなかったが、 精神的な苦痛が引き金となった突発的な犯行 を葛藤殺人と呼ぶらしい。僕が神妙な顔をし て頷いたその時、岬さんがトレーを手に隠れ 家に入って来た。 ※受刑者が自分の罪を反省し、再び犯罪を 犯す可能性がないと判断されている状態。
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