1.ポチ

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太陰暦246年 太陽が消え人工恒星赤い月α(ルーナ)青い月β(アルテミス)の浮かぶスカイパネルの空の下、人類は未だ文明を築いていた。 恒星と聞くと太陽のように明るいもののように思えるだろうが、昔でいう月明かり程。 昼はなくなり、月は暗闇に沈んだ。 そんな中人類が生き残ったというのは奇跡的であろう。 太陽光を浴びなければ生成されないビタミンDとセラトミンの摂取を必須とした生活以外あまり変わらないということからも人類の図太さが見える。 この二つの成分プラス成長ホルモン パロチン を促す薬は各国で作られたがこの国で主に普及しているのは『青月(アルテミス)の雫』と呼ばれるツツジ科の花の蜜だった。 濃い青のツツジの花を咥え蜜を吸う姿はまさしく蝶のようだと他国は言う。 そしてその花の栽培を一挙に取り仕切っているのが薬剤会社の『月光蜂(ゲッコウバチ)』である。 東都随一の高級ホテルである『帝国ホテル』地上30階のレストランにて三人の男と女が会食をしていた。 赤い月の光が壁面の大きな窓から差し込み美しく飾り付けられた食材を照らす。 四角い皿に少しずつ均等に置かれた野菜たちに箸を伸ばしつつ、女はすっと目の前に座ったまま冷や汗をかいている男達に視線を流す。 「お口に合いませんか?」 そう言いながら峰岸 蜜羽(ミナギシ ミツハ)は口元にナプキンを添える。 長い黒髪は顔の左半分を隠すように前髪を流していた。男達の視線に笑みを含んで前髪を耳に掛ける。 その顔には赤黒い火傷の跡があった。 額から頬にかけ変色したそれはふた回りも歳の離れた男達でも直視するのは憚れたようだ。齢28ながら『月光蜂』の社長をしている彼女は容姿端麗とは言い難い、体型は小柄ではあるが筋肉質で火傷に傷がある所謂醜女だった。 「いや、けして。...その、申し訳ない。」 男二人はそれぞれスーツ、一人は礼服として軍服を着ていたが料理を口にすること無く借りてきた猫のように大人しい。 その後ろには警護の人間も立っていたがこちらは指の動き一つ見逃すまいと蜜羽を見据えている。 「ふぅ」 一人料理を堪能し、蜜羽はワインの入ったグラスに手を伸ばす。 ゆっくりと傾けるグラスの中、透明な液体がゆらゆらと揺れる。その液体ごしに一人ずつ男を品定めするように眺めながら蜜羽は首をかしげた。 「それで?商品の値上げの交渉はもうよろしいですか?」 自社製品の値上げ。生活に根付いたそれは国家にとって避けたい問題であった。 「いえ、何度か申し上げましたがこれ以上の値上げは無理です。国民からの税金だけではとても支払いが出来ません」 男の一人は財務省の人間であり慌てて否定した。 「では海外から買ったらいかがです? わが社の製品は純度が高いので致し方ありません。混ざりものでも紛い物でもどうぞお好きに。わが社の顧客はそれこそ海外に沢山おりますので。」 「あなたは、わが国を代表する企業のトップです、国民として国に奉仕する気などないのですか」 「あるわけないじゃあ ありませんか」 「しかし..」 口どもる政治家の隣にいた軍服の男は鋭い視線を投げながら咳払い一つする。 「では、せめて国外の流出を可能な限り抑えて頂きたい。」 「ありえませんね、こちらは商売をしているのですよ。」 むしろ と指を重ねて蜜羽が目を細めるとそれだけで空気が冷たいものへと変わった。 要人の警護にあたっている背後の男達がぴくりと眉を潜める。蜜羽の声音が先程までとは違い、静かでありながら重いものに変わったからだ。 「...国を想うのであれば、政治利用などせずに無償で民に配るべきでは?それこそ、国民一人一人に配布できるようこちらは必要な量をお渡ししているはずですが。」 「それは誤解です。」 「...ほう?」 「我々は契約通り全国民に薬を配布しています。ですが、嘆かわしいことに一部それを売ってしまう輩がいるのも事実。薬は高く売れますからな」 蜜羽は瞼を閉じ、頷くような仕草をする。 同意を得たようにも見えたが言葉は辛辣だった。 「生きるために必要な物資を買うためなら多少リスクを侵すのも頷ける。しかし、それは国が努力することで国民に強いることではありますまい。まさか、今日食う物の為に生命線である薬を売らなければいけないなんてのも愚民の行いと唾を吐くおつもりか。 我々が、税金の変わりに薬を徴収している事実を知らないとでも?あまり軽視されてはこちらも困ります。」 一息つくと蜜羽はもう用はないと話を切り上げ立ち上がる。 「あまり弱い者いじめはなさらないことです。昔から言いますでしょう、窮鼠猫を噛む、と。追い詰められたドブネズミも大群となれば足元を掬われますよ。」 立ち上がり、出口へと向かうと扉を開けた。 仕方なしに二人も立ち上がりそれに倣う。 「お気をつけてお帰りください」 そう言う彼女は護衛もつけず一人でいることに政治家の男性は思わずにやけた。 「いやぁ、私共よりあなたのほうこそ気を付けてくださいよ。最近は只でさえ治安が悪くなっている上にあなたのような綺麗で若いお嬢さんの方が狙われやすいでしょうから」 「ご心配には及びませんよ」 にこりと笑みを作ると蜜羽は視界から瞬時に消える。 カシャンッ 床に落下する物音に慌てて政治家の男性が振り向くと、すぐ隣にいた警護の首もとに足を振り上げ制止している。 足元に転がる拳銃に、思わず汗が吹き出した。 「躾がなっていませんね、なんなら私の方で貸して上げましょうか?私自ら躾ていますので粗相はしません。失敗は己の死に繋がることを熟知しておりますので」 にこやかに話しながらもヒールの爪先より伸びる尖った切っ先は男の喉元へじりじりと距離を縮めている。 彼女は只の会社の社長ではなく、この国を仕切る裏組織『御影(みかげ)』の幹部の一人だ。 表だって顔を売っているわけではないが、政治家一部と警察内部には周知の事実だ。 「...戯れは十分です。」 「そうですね、では今度こそ さようなら」 よろめく警護を仲間の職員が支えその場を後にする。蜜羽は頭を下げることもせず通路を歩いていく数人の背中を見送った。
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