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梛は逃げなかった。
女とは違う、でも細い身体は俺の胸に抱えられたまま逃げようとはしなかった。
「梛」
久しぶりに声に出した名前は、それだけで俺を満たした。
胸にかかる重みと体温は、顔を見なかった間中俺が求めて居たもので。
眠れと言う梛の声は、話さなきゃいけないと言う問題を簡単に押しやって俺を包んだ。
後でいいなら、お前がここに居てくれるなら。
このまま眠らせて欲しい。
行かないでくれ、ここに、目が覚めるまで居て欲しい。
自分の腕と、ソファーの窮屈な隙間に梛を押し込んで俺は目を閉じた。
あの朝みたいに、梛がどこかに行かない様にキツく抱いて。
驚くほど深く眠りながら、それでも梛の体温を感じていた気がする。
目を開けたら、梛は俺を見ていた。
逃げずに、傍にいてくれた。
おはようと言う梛の声を聞いて。
俺はこの先、梛を手放せないだろうと思った。
元々、行儀よく生きてこなかった。
正攻法で手に入れた物なんていくつあっただろう。
妹を助けたいと大層な理由を掲げたあの金も、誰かが陰で泣いた金だ。
どうせ、死んでも妹のそばになんて行けない。
神様に蹴落とされて地獄に落ちる。
だったらせめて。
だったら生きてるうちは。
欲しいものを欲しいだけ、手に入れたい。
最後に欲しがるこいつが、一番デカい罪になるかもしれない。
でもそれが何だ。
妹を助けなかった神に、立ててやる操は無い。
ただナギ、許してくれ。
兄ちゃんは、次にお前に会う時…お前より大切な人間がいる。
上から見下ろして、悪態をついてくれ。
蹴り飛ばされる覚悟で、梛の唇に触れた。
好きなんだと、言えない俺は最低だったが。
それでも気持ちが伝わればいいと思った。
梛は、黙って唇を開いてくれた。
これだ、この感触を求めていた。
優しくしたいと、無条件で細胞が言うような…存在。
離れ難くて、何度もキスを重ねた。
唇を離した瞬間に張っ倒されるかもしれない。
それでもやめられなかった。
ふるりと、梛の背中が震えた。
限界か、梛の我慢の限界なのか。
名残惜しく唇を離して合わせた視線。
梛の目は潤んでいた。
俺を見る目は、否定を含んでいなかった。
薄く開いた唇が。
もし、この続きを求めてくれたら。
……その俺の願いが届いたのか。
強く求めた願望が、届いたのか。
梛が許しをくれる様にゆっくり瞬きをした。
「梛」
いいのかと、呼んだ名前に応えて梛が俺の背中を引き寄せた。
本気で……死んでもいいと思った。
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