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『現状維持は退化に等しい』というのが、アポロンもといさゆりの経営理念である。常に進歩を求める彼女の会社では、製品の研究・開発に毎年莫大な予算が投じられている。
本社ビルに隣接された研究所はまさにその象徴であり、国内外から集められた精鋭たちが毎日身を粉にして働いている。そしてそれらを束ねるのが、他ならぬ葛城誠一なのだ。
「いい加減仕事中に寝るのやめたら?」
そう、今まさにCEOに怒られている彼である。葛城の研究室に入ったさゆりは、彼の前に座り、呆れた様子でコーヒーを啜った。
「眠いものは仕方ない」
葛城は、ただでさえ細い目をさらに半開きにさせながら、頭を掻いて言い返す。
「いびきが聞こえていたらどうなっていたことか……」
「ベンチャーの社長が堅苦しいこと言うなよ」
「私だって体面くらい気にするの。あんた、周りでどう呼ばれているか、知ってる? 『スリーピー』よ」
「なら別にいいじゃないか」
「は?」
「『スリーピー』ってことは、『眠い』ってことだろ? 起きてるから。『スリープ』じゃないから、セーフ」
「こいつ……」
さゆりの拳が固くなる。真っ白な前髪の狭間から差し込む彼女の冷たい視線を見ると、葛城の口元が少し緩んだ。
「何よ?」
「その怒ってる感じ、妹と同じだな」
彼女の中の炎に油が注がれた。辛うじて爆発を抑え込み、小刻みに身体を震わせながら引き攣った笑顔で応答する。
「あいつと、同じ……?」
「ああ、一緒一緒。ほらこの感じ」
その空気に気づいていないのか、気づいていて楽しんでいるのか葛城に自嘲する気配はない。
「あぁそう、冗談にしては面白いわね……」
『妹』。それはさゆりの前で口にしてはいけない言葉である。かつて彼女は、妹を愛する父に半ば捨てられた。そしてその妹とは、かつて葛城の上司だった女である。
窓ガラスの向こうから、言い合うさゆりたちの姿を1人の男が覗き込む。同じく研究所で働く湊純一が、低いため息をつきながら呟いた。
「気楽なもんだな」
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