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じつによくある審判にて
全くもって、なんとも不運な出来事か!
私は死んでしまった。あぁそれも、水害によって惨めったらしく悶え苦しみながら。大雨のせいで川が氾濫し、村を襲ったその大洪水は、怪物のように建物や人々を食らい尽くしていった。
私も例外ではなかった。私は、そう、そうだ、泳げなかったのだ!川に潜り魚を取ることが出来ない。そもそも水が怖い。水の透明さと重みが恐ろしい。だからバカにされてきた!なのに!
なのに、私を虐げ、罵り、暴虐の限りを尽くしてきた連中は、今でも生きているなんて!
どうして彼らが生きて、私が死ななくてはならない?はらわたが煮えくり返りそうだ。許せない。殺してやりたい。今まさに死んでしまった、私と変われ。
けれども……あぁ、大丈夫。大丈夫。
今となってはそんなこと、どうでもいい。
彼らはもはや不毛の土地となったあの場所から離れ、積み上げてきた文明が破壊された後の、愚かにも石器時代の人間の如く生きていく。お似合いの末路である。
一方私は死に、そして、伝承にある永久に暮らせる理想の霊界の土地へ行くのだ。善行を積み、悪行に耐え忍んできた。この私なら、絶対にあの場所へ行けるはず。絶対。絶対。だって、そのために今まで生きてきたのだから。生への希望を捨て、その先の死に希望を見出していた。私なら。
そういえば、多少その旅路に苦難があると聞いたが。構わない。何にも脅かされぬ楽園へ行けるのなら、それくらい安いもの。そうでしょう?
今、私の目の前には天秤を持った女性が立っている。
辺りは黄金色の高い柱がそびえ立ち、解読不能な記号のような物が、小綺麗な床からはるか高い天井まで連なっている。あの本で見た光景。その女性は女神のような美貌の持ち主で、ジッと私を見下ろしている。
彼女の持つ金色の天秤。その片方の皿には、真っ白な羽が乗っていた。
そして、その反対の皿に。今まさにその羽と比べられるものが置かれようとしている。
私の、心臓。
女性の片手に収まっているのは、真っ赤な私の心臓である。私が死んでいるからか、血も出ていないし動いていない。ただ、真っ赤。どうして?なんだか可笑しくて、吹き出してしまいそうだ。
あの心臓と羽とが釣り合いが取れた時。私は楽園へ行く事ができる。人の悪事は心臓に刻まれ、その分重たくなる。子供の時から言われてきた教えだ。
今生きながらえているであろうあの連中は死後、確実に、楽園へ行く事はできない。彼らの心臓はきっと重くなりすぎて、羽との釣り合いは愚か天秤など壊れてしまうのではないか?がしゃんっ、と!だとすれば、なんて面白い!楽園からその様子を見物してやりたい!
あぁ、私は。生まれてこのかた、悪事などした覚えは一切ない。殴られても蹴られても仕返しなんてしていない!ただ自身の体を抱いて耐えていた。痛みに身を震わせ、再び来たる地獄のような明日に絶叫しながら。
それに、私がしたのは耐えることだけではない。それだけでは楽園への道は、きっと遠い。私の心臓は軽くならない。そう、私がしてきたのは、紛れもない善行だ。人のためになる事。良い行い。褒められる事。ほら。何処かの誰かの言葉を借りるならば、徳を積むだとかって言うでしょう?それだ。……それなのに、やはり周囲の連中は感謝さえ述べなかったが!
あぁ……失礼。だからほら、早く審判を。さっさと私を楽園へ導いて。……何をそんなに悠長に構えている?何故私に、そんな目を向けている?早く心臓を。心臓を乗せろ。早く。
女性が掲げる天秤が震える。
かちゃん、と。
天秤が揺れ動く音がした。
羽と心臓。ゆらゆらと揺れるそれは、じれったくて。叫び出したくなった。拳に力を込め、唇を噛む。
いつまで待たせる?私の心臓の軽みはもしや、羽根に勝ったのでは?なるほど。だとすれば合点がゆく。やはり、彼らとは違う!あの真実の羽すらも凌駕する、私の良心が。善行が…………。
…………______は?
呆けたような声が漏れる。
目を疑った。
見間違いだろうか。
更に乗った私の心臓は、大きく傾いていた。
……下へ。
反対に羽はふわりと、天秤の上で留まっている。
女性の視線が、私に注がれた。
意味がわからない。何が起きている?まさかあの天秤は、不良品であったか?そうでなければ羽?いや、違う。違う。この女性、この女!彼女が私を陥れようと、天秤のさじ加減を変えたか?ちょっと傾けて、私の心臓を重たくさせたのか?
そうだ、そうに決まっている!だって、私はあんなにも良い行いをしたのに!悪行に苦しみながらもようやく人生を終えて、ここまでやってきたのに!楽園へ行けないなんて、おかしい。おかしい。
女性は憐れむような目で私を見下ろす。そして天秤に乗った心臓を、ろくに見もしないで掴み取る。襲いかかって殺してやろうとしたが、既に身体は動かない。
どうして。
どうして、私が。
あんなにも良くしてやったのに!
あんなにも苦しんだというのに!
どうして、わかってくれない?
結局、人も神も何もかも、その程度なのか?
片手に収まったそれを、女性は空中へ放り投げる。
横から、形容し難い気色の悪い四足歩行の獣が飛び出した。
そして大口を開けて、私の心臓を、
ぐしゃり、と食べてしまった。
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