科学的なものと信念的なもの

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 古今東西、科学が発展していなかった時代、特に中米辺りで裁判のあり方は、実に非科学的な方法で行われていた。それは、例えば、裁判の最初にまじない言葉をうまく言えたらその人は無罪で、言えなければ有罪であるなど(「私はこの件について無罪です。」をちゃんと言えれば無罪、言えなければ有罪になる等、非科学的な事が行われていた等である。  例えば、人を憎んだ時、その声に出した呪い言葉が周りの空気と共鳴して響いたりすると、それは自分が正しいということ意味していると言いたくなる。  しかしそう信じることは本当に正しいことなのだろうか?  科学的なものの方が良いが実は信念的な方が良い場合もありそうだ。
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