真昼の流れ星

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「あ、流れ星」  思わずこぼれた声に、「え?」と驚きよりも怪訝な表情をされる。  テスト期間中の、いつもより早めの下校。現在時刻は十三時すぎ。空は青く晴れ、雲もない。眩しいのは太陽の光ばかりで、星なんて見えない。  それでも亜紀(あき)は律儀に空を見渡し、もう一度俺の顔を見た。誤魔化せるかな。空耳ってことにならないかな。 「流れ星って言った?」 「……言った」  まっすぐ見つめられ、嘘をつくことができなかった。もっと馬鹿にしたような表情だったら、適当に流せたのに。……そういうやつだって知ってるけど。  立ち止まったふたつの影が、街路樹から落ちる木漏れ日と混ざり合う。歩き出すタイミングを見失ったかのように大きな影は動かない。  自分から踏み出せばいい。先に歩き出せば、きっと何事もなかったようについてくる。今までと同じように。何も変わることなく。  早く戻るべきだ。明日もテストだし。 「明日のテ」 「それって、あれのこと?」  わずかに早く発せられた言葉。指し示された空には伸び続ける飛行機雲。先にあるのは、飛行機であって星ではない。ましてや流れ星なんかではない。俺も亜紀もわかっている。  それでも亜紀は否定しない。俺の言葉を、その意味を探してくれる。……そういうところがさぁ。 「……そうだよ」  柔らかな春の青。日差しを受けて伸びる雲。細く長く、空に描かれる軌跡。小さく光る飛行機が遠くへと消えていく。――真昼の流れ星のように。  本物の流れ星に願うチャンスなんてなかなかない。それでも何かに唱えずにはいられなくて。  思い出したのは、一ヶ月前に亜紀が発した言葉だった。  ――隕石が降ってきたみたいじゃない?  上から下へ伸びる飛行機雲を指差し、亜紀が言った。たった一言。なんでもない、いつもの帰り道で。  亜紀にはそう見えるのか、と思ったら、もっと知りたくなった。亜紀が何を見て、何を思うのか。何が好きで、何に惹かれるのか。亜紀の見ている世界を、亜紀自身のことをもっと知りたい。  思うだけなら、許されるだろうか。  隕石のように落ちてはこない、いつか消えてしまう流星なら。本物の流れ星ではないなら。  吐き出すことのできない想いを、ニセモノの流れ星に唱える。繰り返し、繰り返し。 「いいな」 「え?」 「あれが流れ星なら余裕で三回唱えられるじゃん」 「……亜紀は、なにを願うの?」 「んー、そうだな」  空を映す亜紀の瞳。ゆっくりと降りてくる亜紀の視線。結ばれた瞬間、気づいてしまう。  願う相手は星でも飛行機でもない、と。 「……好きだ」  こぼれ落ちていた。願いにもならない、胸の中で繰り返していただけの言葉が。唱えるだけの、伝えるつもりのない、いつか消えるだけの想いが。  え、と俺を映す瞳が大きくなる。驚きでしかない表情に、どうしていいかわからなくなって、俯くことしかできない。  地面で揺れる木漏れ日が、俺と亜紀の境界を滲ませる。熱くて柔らかな風が通り抜け、ふっと影が動き出す。亜紀は戻るのだろう。俺を置いて。明日からも友達でいるために。  込み上げる苦しさに、自ら視界を閉ざす。 「あのさ」  亜紀の声が真っ暗な世界に落ちてくる。続く言葉がこわくてたまらない。今からでも「冗談だよ」って言ったら、戻れるだろうか。いつもの帰り道に。隣を歩く友達に。 「……本物の流れ星よりすごくない?」 「へ?」  思わず見上げていた。一瞬で光を取り戻した世界の真ん中、亜紀が笑う。 「まだ一回しか唱えてないのに」 「な、なにを?」  肩に手が載せられ、一瞬で顔が近づく。 「……(つばさ)が、俺のこと好きになってくれますようにって」  え、と返すより早く、視界が覆われた。  地面の影が重なったのは見るまでもなくわかるのに、何が起こったのかはすぐに理解できない。いま、一瞬、触れたのは……。 「俺も好きだよ」  耳に落とされた亜紀の声が、ゆっくりと言葉に変わっていく。 「――聞こえた?」  重ねて落ちてきた声に、一瞬で体温が上がる。 「あ、え、と」  ぱくぱくと意味のない音を紡ぐ俺を見て、亜紀が「うん、聞こえたな」と笑った。  再び並んで歩き出しても、帰り道に戻っても、地面に伸びた影は繋がったまま。空を駆ける音が、真昼の影を横切る。見上げれば、星よりも確かな煌めきがまっすぐ進んでいた。 「どうする?」  同じように空を見ていた亜紀が、パッと振り向く。 「なにが?」 「次、何お願いする?」  まだするのかよ、と笑った声は小さな振動となって、繋いだ指先へと流れていった。
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