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春日沙織
長澤課長は、てっぺんの薄くなった頭をポリポリと掻いて言った。
「今日はさー、ヘリコプターから送られるロープを受け取って、鉄塔に結んでいくのよ、もう命懸けの作業でさー。女の子の応援は嬉しいなー、ねPちゃん」
「は、はい」
ガチガチに硬直した体が、まるでブリキの甲冑みたいだ。
「コイツね、高槻勇っちゅーんだけど、二十歳になった時に酒呑ませたら腹下して、それ以来Pちゃんて呼ばれてんの。もちろん愛を込めてね」
「へぇ〜。私は春日沙織と言います。よろしくお願いします」
彼女がペコリと頭を下げた。
もちろん巨乳も茶髪もない。
けれど。
かわいい…。
何がかわいい要素なのかは、全くわからなかった。
自然と勇の口は締まりなくポカンと開いたままになった。
山登りを終えたアルピニストが、山を降りて最初に見る女性に惚れる、という話を聞いた事がある。
あまりにも女に飢えていると、そうなるという話だが、それに似ていた。
「ま、俺らは毎日命懸けだけどね。電線張ってない時の鉄塔って、余計怖いんだよなー。地上100メートルだからね」
「すごい!」
「25階建てくらいよ、しかも山の上だから実際すごい高さでさ。そこにステップ掴んで自力で登ってくんだからさ」
「本当にすごいです。ラインマンの皆さんのおかげで毎日電気が普通に使えていると思うと、感謝しかないです!」
「そっかな〜。ははは」
食堂に集まる仲間たちの間にも、心が熱くなる思いが満ちあふれた。
「私、東日本大震災の時に停電して、その時家で飼っていた熱帯魚が全滅したんです。
水槽の水温を保つヒーターが停電で止まってしまって。
水温が下がって、水槽で魚たちが皆んな死んでしまいました。
その時、すごく悲しくて。
だけど、それまで普通に使えていた電気が当たり前過ぎて、これまで何も感じていなかったんです。
それが小さな命を支えていたなんて。
決して電気が使える事は当たり前の事じゃない。
日頃の電気のありがたみをものすごく感じました。
そしてそれを守ってくれている人たちがいるって事に気が付いたんです。
電気の供給を途切れなく保つヒーローがいたんだなって」
食堂は静まり返っていた。
「だから、電力網を命懸けで守るラインマンは私にとってヒーローです。尊敬してます。心から応援してるんです」
これを聞いて嬉しくない男は一人もいない。
この春日という女性は一気に男たちの心を掴んでしまった。
色気も必要ない、彼女には。
勇は感動で、涙ぐんでしまった。
「ちょっと、Pちゃん。ここに女神現れたさ〜。彼女に応援されてたら、俺ら120%頑張れちゃうよねー」
「は、はい」
勇は心の中で考えていた。
『ごめん、いさみ、リアル女子にメロメロになってしまって。俺はもう二次元には戻れないかもしれない』
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