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ヒーローの代償
「昇塔!」
ラインマンたちはステップを掴み、鉄塔へと登って行く。
100メートルを8分ほど掛けて一気に登る。
快晴の空の下、風も穏やかで絶好の架線工事日和。
ヘリコプターの音がする。
チームでの連携プレーだ。
春日沙織はマスクを外して、外に出た。
濃い緑の深い山にそびえ立つ鉄塔が見える。
既にラインマン達がその頂きに到達していた。
見上げると首が痛いほどの高い位置に黒い点が見える。
「居た」
本当にその姿は点でしかない。
それが人間などとは思えない。
目を凝らさねば見えないほどだ。
判別もつかない黒い点が、ヘリコプターと連携して作業をしているようだった。
「かっこいい…」
「春日ちゃん、ラインマンに惚れちゃダメだよ」
「白井さん、なんで?」
「あの連中は鉄塔の上ではヒーローだけど、地上に降りたらダメ男だし、もう一年中仕事ばっかりで、地面に足付けてる時ないのよ」
「え?」
「ほぼ家にはいないわよ」
「そうなんだ…」
「結婚した途端に一人暮らしになるようなもんよ。おまけに、災害があれば雨でも雪でも鉄塔登って作業してる。家族はそれをハラハラして待っていなきゃならない。地獄よ」
白井は調理師で、皆から慕われている『食堂のおばちゃん』だ。
「でも、高槻さんてすっごくカッコいい」
「あのお兄ちゃん、顔はいいけどやめときなさい。スマホのアニメキャラと話してるオタクだよ。リアルで女の子の手も握った事もないオタクで」
「そうなの?」
「30過ぎてスマホのアニメキャラの彼女と、温泉旅行いくとか言ってたからね」
「そりゃすごい」
「お金使う暇もなさそうだから、貯金はありそうだけど」
「でも私、高槻さんめちゃめちゃ好みなんですけど」
「たぶん普通の会話すらできないわよ」
「あんなカッコいい人見た事ないのに、モテる機会なかったのかな?」
「ラインマンには、ほぼプライベートないからね」
「スマホの彼女から高槻さん奪っちゃおうかな」
「寂しい思いをするのは目に見えてるよ、孤独に強い女しか付き合えないって」
「へぇ」
「ラインマンはね、自衛官や警官みたいなもんよ。有事の時には命懸けで現場で復旧作業しなきゃなんない。いいの、あんた?」
「え…でも」
「バカだね、本当。もう好きになっちゃったの?」
白井は呆れてため息をついた。
「確かにラインマンはカッコいいけどね…。自分の息子だったら、そんな仕事辞めなさいって言うわよ。家族だったら、生きた心地がしない」
「不死身の男って感じする」
「それがね、不死身じゃないのよ…」
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