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「着替え、ここに置いておくね」
自宅の浴室扉前で声を張って伝えるも、予想通り返事はない。耳を澄ませば、水滴の跳ねる音が聴こえてきた。高嶺奏が無事に湯浴みをしていると確信し、サチはホッと胸を撫で下ろす。
雨に濡れて「(自宅の)鍵を失くした」と震える彼を、半ば強引に自分の住むアパートまで連れ帰った。警戒心が強いであろう高嶺奏は嫌がるかと思いきや、お湯を張った浴槽を目にするなりアッサリと衣類を脱ぎ捨て飛びこんだ。
……もちろん、下着に手をかける前に慌てて背を向けたのだけど。
不思議な男の子。夢で見た通り。
儚いけれど、強くてブレないピアノの音色のような男の子。
かつて出会ったことのない真っ白でピュアな男の子。
ほんの五分ほど高嶺奏について思いを馳せている間。当の本人は茹で上がったエビのような、桜色の顔をしてサチの前に現れた。
━━可愛い……。
着ぐるみのような素材のレディース物のパジャマに袖を通した姿は、持ち主であるサチより遥かに似合って見えた。
「お客様からの頂き物なんだけど……よかった、サイズも大丈夫そう」
濡れたタオルを受け取ろうと手を差し伸べたタイミングで、揺らりと高嶺奏が肩にもたれかかる。触れた額が、焼きたての卵のように熱を帯びていた。
「お風呂を勧めちゃって、ごめん。熱が出ちゃったね。今日は休日だから、病院は救急外来か。ねぇ、保険証って……」
当番医を検索しようとする腕を高嶺奏の熱い掌が包む。案の定、今回は首を左右に強く振って拒絶した。
「……行きたくないの? 病院に」
「そうだ」と言わんばかりに、今度は縦にブンブンと首を振り下ろす。と同時に、いよいよキッチンの床へと倒れこんだ。
「分かった、病院へは行かない。でも、ここで寝ちゃだめ」
冷たいフローリングに頬を擦り付ける高嶺奏を母親のように諭し、優しく抱き起こした。青年にしては華奢な肩と腰に手を当てがい、そのまま引きずるように寝室へと連れ行く。
この様子を第三者が見たならば、『白雪姫(高嶺奏)を拐かす魔女(サチ)』という構図へ例えたに違いない。
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