6人が本棚に入れています
本棚に追加
/55ページ
「そういえば、アイツのこと見た? 『高嶺奏』」
網の上の肉を掴みかけたトングを開いたまま、サチは一瞬思い出すふりをする。
「ピアニストの……」
「『雑用係』兼、ピアニストな」
自分の肩書きが『雑用係兼、用心棒』である園生猛士は、譲れないとばかりに被せ気味で訂正を加えた。
「気味悪いだろ、アイツ。一言も喋んねぇし」
「……」
「なんつったかな、カンモク……」
「場面緘黙症」
サチも負けじと、被せ気味で訂正した。
「それそれ。何で知ってんの、誰かに聞いた?」
誰から聞いたわけでもない。サチ自身が、幼少期に『場面緘黙症』疑いの診断をされたことがあるのだ。
物心ついたときから、両親は不仲だった。罵り合うか、無視し合うか。父と母が穏やかに会話を交わす場面を見た記憶は、ほとんど無い。不仲な二人は、毎日のように一人娘へ互いの悪口を吹き込んだ。
『お父さんには、言えない』
『お母さんには、言えない』
『家族のことは、人様に言えない』
言えない思いを溜めこんで、十代の頃は誰とも口をきくことが億劫だった。
負の郷愁に浸るも、せっかちな園生猛士の興味は生焼けのカルビへと向かっている。かと思えば、思い出したように『高嶺奏』情報について一声添えた。
「オーナーママの息子だから、アイツ」
「そうなの」
「そ。だから雑用係として使えなくても、隅っこでピアノ弾いてりゃいいって。気楽でいいよな」
最初のコメントを投稿しよう!