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ピアノに詳しくない園生猛士から見れば、お気楽な商売に思えるだろう。けれど、触りだけとはいえ、面接中に聴いた彼の演奏するパッヘルベルの『カノン』は━━ちょっと上手な人、なんてレベルではなかった。
「あと、アイツ、俺たちと同い年な」
「え、そうなの!」
本日一番の声を出してしまうも、脂身の焼ける音にかき消されてサチは安堵した。
高嶺奏の第一印象は、多く見積っても自分より四~五学年は年下の十八、十九ほどにしか見えなかった。容姿はもちろん、佇まいの全てが幼いのだ。
けれど、これで色々と合点がいった。技術のある童顔ピアニストが、不似合いな酒場の隅で演奏をする理由。経営者の身内ならば、さもありなんだ。
「ちゃっちゃと食えよ、ウスイサチ。今日は俺からの就業祝い、奢りだからな!」
夢の中で見た青年と同じ顔を持つ高嶺奏について、サチが思いを馳せていることになどお構いなく。焦げた網の上で、園生猛士は豪快にトングを振り回した。
*
「カノンちゃん!」
『碓氷幸』という不幸の権化のような本名を忘れ、クラブホステスとして生きるようになり三日目が過ぎた。
源氏名を呼ばれ迷いなく振り向いた先には、オーナーママである高嶺響子が和服の袂を抑えながら手招きをしている。
『事務員のおばさんみたいだろ? 地味な顔して、策士なんだぜ』
したり顔で焼肉を頬張りながら、園生猛士がママである響子を称したセリフを思い出す。
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