episode 01 君の源氏名は

7/10

6人が本棚に入れています
本棚に追加
/55ページ
「君が噂のカノンちゃん?」  開口一番。ミサトの太客である野島(のじま)から、冷やかすように出迎えられた。 「そう、パッヘルベルの『カノン』ちゃん。野島さんはね、クラシック音楽雑誌の編集長をされてるの」  戯れを制するように、ミサトは野島の腕に自身の腕を絡めた。デコルテが大きく開いたドレスの中で、豊満な胸がくっきりとした谷間を見せつける。 「名前の由来は? ピアノを習ってたとか?」 「いえ、ピアノを習ったことはないです」  野島から話題を振られたというのに、『カノン』は一瞬で会話を終わらせてしまった。シラケた空気が流れかけたところで、ミサトがポーチから取り出した小さなメモに何やら走り書きを始める。再び素早く左腕を野島に絡めると、空いた右手を掲げて黒服を呼び寄せた。 「(ソウ)君に」 「かしこまりました」  メモを受け取った黒服は、従順な郵便屋のごとくグランドピアノ前で佇む高嶺奏へと手渡す。ミサトの走り書きを三秒ほど眺めたピアニストは、ためらうことなく流暢な演奏を始めた。 「うわ、教授の『エナジーフロー』!」  イントロが始まるや、野島が歓喜の声を上げる。 「『すべての疲れている人へ』ですよね。今日もお疲れ様です、野島さん」 「分かってるねぇ、ミサトちゃんは。さすが、僕の【推し】』だねぇ」  坂本龍一の名曲が流れる店内は一時静まり返るも、本日来店の客層にはダイレクトに響いたのか、完奏と共に拍手喝采に包まれた。
/55ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6人が本棚に入れています
本棚に追加