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 カッとして麻里に「帰れ」と言ったことを、隆文は後悔していた。ひとりでどうやって智を探せばいいんだ。  イライラしながら歩く。  隆文はきちんと前を見ていなかった。  通りの向こうに市民病院が見えた。(そういえば、小林のおじいさんって入院してるんだっけ)と考えていたら、ガチャン! コンクリと金属のぶつかる音。顔を上げると目の前で車椅子に乗っていたおじいさんが歩道で横倒しに倒れている。 (俺がぶつかったのか) と気づいて、 「大丈夫ですか!」 と慌てて駆け寄ったけれど、どうしていいか分からない。ぼうっと立っていると、ちょうど歩いてきた男の人がおじいさんを助け起こしてくれた。  車椅子に座り直したおじいさんに近寄って、 「あ、あの……ごめんなさ」 と言いかけたところで、隆文はよろけた。  いきなり横から突き飛ばされたのだ。 「じいちゃんに何すんだッ」  歩道で転んだ隆文痛みに顔をしかめる。咄嗟についた手のひらと膝小僧を擦りむいてしまった。突き飛ばしてきた相手に「痛いじゃないか」と言い返そうとして「あ……」と口を開いて固まった。  それは相手も同じだった。隆文と同じくらいの年頃の少年。切り揃えた前髪の下、小柄な体型には似つかわしくない大ぶりな眼鏡の奥で目一杯に開かれた目が貴文を見ている。  隆文は、 「あ、小林!」 と指差し叫んでいた。  (まずい!)という顔になった智が背中を向けて一目散に駆け始める。  普段運動をしない智とサッカーで遊ぶのが好きな隆文では足の速さも持久力も違う。追いつくのはすぐだった。  なんなく捕まえると、智はゼェゼェと息を弾ませた隆文の腕に縋り付いた。振り返ると車椅子のおじいさんの姿が小さく見える。走り出した場所からそう離れていない。 「まだじいちゃんに見せてないんだ。見せたらその後でちゃんとテスト用紙を返すから。なんなら家まで持ってくから」 と言われて隆文は、 「なんで……っていうかお前、俺の家知ってるの?」 と、智に聞いた。 「うん……佐藤君のことは意識しないわけにいかなかったから」 と言われて隆文は、 「はぁ?」 と声を上げてしまった。  隆文は車椅子に座って待つおじいさんのところまで智と一緒に戻り、 「すみません、前をよく見ていませんでした」 と、頭を下げた。 「確かに危なかった。これからは気をつけてくれよ。だが、男の子は元気で困るくらいがいい。」 「何言ってんの、じいちゃん。打ちどころが悪かったら怪我してたんだよ」 と智がいうがおじいさんは笑って取り合わない。 「はは、大丈夫、大丈夫……」 「おじいちゃん……」 「それより智、友達か?」 と、車椅子のおじいさんが智に聞く。 智が何か言う前に隆文は、 「はい、智くんとは友達なんです」 と答えた。  その後なんとなくついてきてしまったさとしの祖父の病室近くのフリースペースに丸テーブルの椅子に座って隆文は智と話している。 「おじいちゃんの〈孫〉像は元気で外遊びが好きで成績はちょっと残念な、ちょうど佐藤君みたいな男の子なんだ」 と言われて、隆文は苦笑いした。 「その言われ方、褒められている気がしないんだけど」 というと、智は「ごめん」と目を丸くして、 「でも本当に佐藤君みたいな子がじいちゃんの理想なんだよ。だから僕は佐藤君みたいになりたい」 と小声で言った。 「じいちゃん癌なんだ。もう長くない……。うち母子家庭だからさ、僕は半分じいちゃんに育てられたようなものなんだ。じいちゃんにはいっぱい感謝してる。だから、喜ばせたくて」 「喜ばせたかったのか……」  隆文はテーブルに肘をついてため息をついた。 (俺がさとしのテストの名前を書き換えようとしたのも、本当は百点取ったって、母さんを喜ばせたかったのかな) と思ったからだ。 「ごめんね、佐藤君の答案用紙勝手に持っていって」  智が隆文にテスト用紙を差し出す。 「俺も、返すよ」  隆文もズボンのポケットからテスト用紙を取り出すと、 「あれ? 名前……」 と、智が首を傾げる。 「ごめん、ズルしようとした。俺は百点なんて取ったことないから……」 「僕には勉強くらいしか取り柄がないから」 「まさか俺が理想とかびっくりだ。うちの家は勉強できる子供が理想なんだ。兄貴が二人とも頭よくてさ。デキが悪いのは俺だけ。だからなんか肩身が狭くてさ……お前の百点の答案用紙を見てラッキーって思った。だから名前を書き換えればいいかって」  智が自分のテスト用紙を照明で透かし見るように持ち上げる。 「それで僕の名前を消したんだね」 「馬鹿なことしようとした。すぐ麻里にバレたし」 「僕たち二人とも、親や親代わりの人の理想に自分を寄せようとして苦しんでたんだね」 と智が言う。隆文も(そうだったんだ……俺は母さんに「百点取ったよ」って言いたかったのか)と納得している。 「お前が勉強できるからって爺さんはお前のこと嫌ったりしないと思うよ」 「佐藤君のお母さんだって、成績が悪いからって酷いことしないでしょ」 と返されて隆文はなんともいえない気分で「はは……」と笑う。 「おじいちゃんの期待には応えたい。だってもうすぐ本当にほんとのさよならなんだ。でも、同時にそれを辛いと感じている自分もいて……」 「だな。自分を引き裂いて二つに分けたい気分。俺は二人になっても勉強できるようになれるとは思わないけど」 とおどけると、智もクスリとする。 「引き裂いたら死んじゃうよ。死ぬのは嫌だな」  智の口調の中にも重たいものを感じて、隆文は(うーん)と鼻の頭をかいた。 「じゃあさ、こうするのはどうだ……?」  その日から隆文と智は親友になった。お互いに持っていない部分……勉強だや運動、友達と遊ぶことを、教えあい補い合って、高校生になる頃には二人とも見違える様に成長していた。  智は毎日智と遊んでいるうちにサッカーが好きになって、高校卒業後はサッカー選手になることが決まっている。  隆文は智に教えてもらっているうちに勉強がだんだん面白くなり、大学に進学して研究者を目指している。 「あんたたちまるでお互いの性格や取り柄を交換したみたいね」 と麻理には呆れられるが、お互い、小学校の頃から素の自分は何も変わっていないと分かっている。 「ただお互いを追いかけ合っていたら、こうなっていただけだよ」 高校卒業の記念写真、肩を組んで笑う二人が写っている。 〈了〉
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