レモネードとミントの葉

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 夫のことで悶々としている自分を、しっかりと彼に見透かされている。  無防備だった自分に恥ずかしくなった。  今、私はどんな顔をしているんだろう?    「やだ。そんなに私、貧相に見えるの?」  「貧相だなんて言ってません。未希さんが、僕と同じに重なって見えたんです」  「谷原さんと?」  「未希さん、僕のこと覚えてませんか?」  「どういうこと?」  「僕はあなたがここに来る前から、未希さんのことを知っている」  カウンター越しの黒く冴えた瞳は、じっと私を見つめる。  一気に距離を詰められたような気がした。  でも私の記憶は繋がらない。  「‥‥ごめん。わからない」  彼は眉尻を下げ、ため息をついた。  「やっぱり、そうですか」    「ごめんなさい‥‥」  「いえ、僕の方こそ。でも、僕なら未希さんの良いセカンドパートナーになれると思うんです」  セカンドパートナー??  この人は一体、何を言っているのだろう?  聞き覚えはあっても、ますます混乱した頭がその言葉の意味を認識しようとしない。  あまりにも唐突過ぎて、目の前がくらくらする。  「谷原さん、しがない主婦をあんまり誂わないで。私、そろそろ帰る。今日はごちそうさま」  私には、それが精一杯だった。  カウンターに手をついて、ゆっくりバーチェアーをおりた。  店の外は、まだ夕暮れの雨に霞んでいる。  「この傘を使って下さい」  目の前にキッチリたたまれた、濃紺の折りたたみ傘を差し出される。  顔を上げると、いつの間にかカウンターを出た彼が、これまでにない距離に立っていた。  視界いっぱいに迫る彼に、動揺が体中を駆け巡る。  初めて見た時、逸らさずにはいられなかった涼し気な瞳が、私を見下ろしていた。  耳の奥で聞いたことのない音が鳴っている。  刹那に危うい空気。早く立ち去らないといけない。    「良い。大丈夫」    震える手で傘を押し返すと、素早くその手を掴まれ、心臓を押し潰すくらいの衝撃が走った。  驚いて腕を引くも彼は離そうとせず、その手に傘を握らせる。  「返す時は、この店の2階のポストに入れておいてくれれば良い。そこは僕の部屋だから」  薄暗いオレンジの灯りの下で、私達は無言で見つめ合う。  彼の手元からは、またミントの香りが漂っていた。
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