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「だからね、私セイジに言ってやったの。どんなに不利な状態でも、しゅんは絶対渡さないって!」
「え? あのピーマン野郎に?」
「ピーマンっ?!」
「種以外空っぽじゃない」
「やだ。シュウイツ過ぎて、ウケる」
あさちゃんはメレンダに着くなり、しのぶさんと毒舌軽快トークラリーを始め、どんどん活力を取り戻していく。
セイジとは、例のモラハラ夫のことだ。
谷原さんは今夜は休みだった。
彼に会わずに済んで、ホッとしている自分がいる。
けれど違う人の作ったモヒートには、やっぱり物足りなさを感じていた。
私は彼らのやり取りに、黙ってグラスを傾ける。
あさちゃんはソルティドッグを一気に飲み干すと、意を決したように両拳を握りしめた。
「私決めた! あのモラハラから開放されるなら、財産分与も慰謝料も、養育費だって放棄してやる」
「放棄って..‥ほとんど無一文で、しゅんちゃんと出てきてるのにぃ? あんた、バカじゃないの?」
呆れた顔でしのぶさんが、顔の前で手を振る。
「一刻も早くアイツとの繋がりを断ちたいの!」
「あんたの旦那だって、家族を失いたくなくて必死なのよ。あたしだって、女装がバレなきゃ、嫁に離婚されずに済んだんだから」
「しのぶさんとアイツは違うっ」
「あさ子、落ち着いて。しゅんちゃん、これからどんどんお金がかかるってのに。あんた一人の稼ぎなんかじゃ無理よ。無理」
「無理じゃない! ねぇしのぶさん、私を雇ってよぉ。私、何でもするからぁ」
「ちょっとあんた、水商売舐めてない? どんだけよ」
家庭裁判所で出会い、互いの素性を理解し心のままに接し合える関係。
私は、そんな2人がとても羨ましかった。
自分もそんな風になりふり構わず、渓に本当の思いを伝えられたら、どれだけ良いだろう。
でも私達の間には、同じ温度で触れ合える会話すらもうない。
切なく小さなため息をつく。
ポロポロと涙をこぼし始めるあさちゃんに、ハンドタオルを渡そうと鞄に手を入れたら、androidが振動していた。
また渓からだった。
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